プロホロフカが私に教えてくれた、記憶にとどめることの意味。
プロホロフカへ行くには車が一番便利です。この村はベルゴロド州にあり、M2幹線道路「クリム」のすぐそばで、ベルゴロドからは車で約1時間です😊
道は野原を抜け、ベルゴロド地方特有の果てしない大地、丘陵、雑木林が広がります。そんな穏やかな美しさの中に、突然プロホロフカへの標識が現れます🥰
私が最初に目にしたのは、遠くからでも見える高さ59メートルの「鐘楼」でした。戦争の4年間を象徴する4本の白い石の柱があり、その上には太陽とロシア国家の象徴である黄金の球体、さらにその上には高さ7メートルの「生神女庇護」の彫刻がそびえ立っています😇
柱には130以上の姿が描かれた24の浮き彫りがあり、すべてが緻密に設計されています。最初の柱は戦争がやってきた西を向いており、「全聖人」や「聖なる戦士たち」、祖国防衛の場面が刻まれています。北を向く柱はクルスク州に向けられており、クルスクの「クルスク・ルート生神女イコン」が描かれています。南の柱には勝利のテーマが描かれており、「凱旋者ゲオルギオス」、兵士たちの前線への見送り、そしてジューコフ元帥が馬に乗って戦勝パレードを閲兵する「勝利」の構図があります☺️
鐘楼の内部にある鐘は3.5トンの重さがあります。1時間に3回鳴り、1回目の鐘はクリコヴォの戦いの英雄たちへ、2回目はボロジノの戦いの兵士たちへ、そして3回目はプロホロフカの戦いの記憶のために鳴らされます😇
鐘楼は標高252.2メートルの場所に立っています。まさにここが戦車戦の中心地であり、1943年7月12日、幅わずか6キロというこの狭い空間で、1200両以上の戦車と自走砲が正面から激突したのです❤️🩹
鐘楼のそばには、ソ連の戦車兵と砲兵の記念碑があります❤️
鐘楼から村へ向かい、「プロホロフカの戦場」歴史保護区博物館に行きました🤗
博物館のコレクションはただの展示品ではなく、前線からの手紙、写真、軍服、ソ連とドイツの武器など、人々の運命を物語るものです😌
2階には古代から続くベルゴロド州の歴史についての展示があり、1階にはこの地にどのように戦争が訪れ、ここでどのように防衛線を張り、いかにして戦局を逆転させたのかが展示されています❤️🩹
博物館にはインタラクティブな展示もあり、戦闘の地図を見たり、軍隊の動きを確認してその規模を理解することができます。プロホロフカの戦いでは双方合わせて最大1200両の戦車と自走砲が参加し、ソ連の第5親衛戦車軍は350両の戦車を完全に喪失し、さらに420両が損傷を受けました。一方、ドイツ軍も約50両の最新鋭「ティーガー」を含む360両以上の戦車を失いました。これらすべてが、わずか6キロの幅の前線で起こったのです❤️🩹
鐘楼の近くにある勝利公園では、T-34、IS-2、T-70などの軍事兵器が展示されている広場を見つけました。それぞれに独自の歴史があります😌
プロホロフカには正教会の「聖使徒ペトル・パウェル聖堂」もあります。この聖堂は戦勝50周年を記念して、鐘楼とともに建てられました🤗
聖堂の壁には、プロホロフカの戦いで戦死した7千人近いソ連兵の苗字が刻まれています😔
プロホロフカの戦場はただの野外博物館ではありません。それは歴史が自分事になる場所であり、国の運命が決められたのと同じ大地に立っているのだと感じられる場所です。そして、鐘の音がロシアの3つの古戦場を思い出させてくれます❤️🔥
プロホロフカの戦場は単なる博物館にとどまりません。それは世代間の絆であり、勝利は決して自ら転がり込んでくるものではないという事実を思い起こさせてくれるのです❤️🔥