昔は旅に出ると、ついつい意地を張ってしまい、劇的なサプライズや目を引くような景色がないと、せっかくの旅が損をした気分になっていた。全くの執着だった。
昔は旅に出ると、ついつい意地を張ってしまい、劇的なサプライズや目を引くような景色がないと、せっかくの旅が損をした気分になっていた。多くの収穫に執着し、完璧な体験を求めるあまり、自由気ままなはずの旅が、いちいち損得を勘定する疲れるミッションに変わってしまい、平穏で満ち足りたシンプルな喜びをなかなか見出せずにいた。しかし、この地を巡ってからというもの、私は地元の人々の「仏系(無欲でマイペース)」な生活観にすっかり感化された。村の人々は日常的に「何事も無理強いせず、縁に任せて楽しむのが一番」と笑い合う。完璧を貪らず、先を争わず、見栄や虚名のために競争することもない。四季の移ろいに順応し、ありふれた日常を大切に守りながら、物事に囚われず晴れやかに生きているのだ。過度な商業化から遠く離れたこの町は格別に素朴で、朝夕の移り変わりも優しく穏やかだ。村の人々は朝起きると気の向くままに働き、決して慌てることはない。夕暮れになれば時間通りに仕事を終えて休み、無理をして夜更かししたり、他人と競争したりもしない。暇な時間には、皆で集まってお茶を飲み、つまみを味わいながら、他愛のない世間話に花を咲かせる。収入を比べることもなく、見栄を張ることもなく、ただ目の前の穏やかな喜びを大切にしている。私も以前のような功利的な欲求を捨て去り、SNS映えするような絶景や意図的なドラマを必死に追い求めるのをやめた。ただ気の向くままに散歩し、縁に任せて足を止め、草木が自由に伸びゆく姿や、風月の絶え間ない移ろい、そしてゆっくりと立ち昇る炊煙を静かに見つめるようにしたのだ。そうしてゆっくりと悟った。この世の万事には自ずと程よい塩梅があり、無理に求めれば求めるほど悩みが増し、平穏でリラックスしていればいるほど喜びを得やすいのだと。心が静まれば雑念は消え去り、心がくつろげば気持ちも伸びやかになる。何の変哲もない平淡な旅にこそ、最も心を癒やす奥深い趣が隠されていたのだ。静けさの中で思考は澄み渡り、くつろぎの中で心は穏やかになり、淡々とした中に和やかな趣が宿る。縁に任せて自分らしく生きることこそ、ありふれた日々の中にある最も確かな幸せなのである。