泸沽湖へ、再び。
初めて泸沽湖を訪れたとき、私はただ景色を求めてそこへ行くのだと思っていた。
山々は美しく、湖面は信じられないほど穏やかで、朝の湖はまるで空をその場所に留めているかのようだった。写真を撮り、岸辺を歩き、お茶を心ゆくまで飲みながら、またひとつ美しい場所を見つけたと自分に言い聞かせた。
けれど、私は再びそこを訪れた。
そして、さらにもう一度。
やがて気づいた。私が戻ってきたのは、泸沽湖が変わったからではない。私自身が変わったからなのだということに。
最初の旅は、決断を下すことに疲れ果てていた時期だった。人生のすべてが答えを求めているように感じられた――どこへ向かうのか、何をしているのか、次はどうするのか。だが, 泸沽湖では誰もそんな問いを投げかけてはこなかった。
ある晩、湖畔に座って、一艘の小さな舟がゆっくりと湖を渡っていくのを眺めていたのを覚えている。劇的なことは何もなかった。大きな啓示があったわけでもない。ただ、水の音と、暮れゆく山々、そして人生で初めて「何かに向かって急ぐ必要はない」という感覚だけがあった。
その感覚が、ずっと心に残っていた。
だから、私は戻ったのだ。
二度目の訪問では、違うものが見えてきた。道のりや、村に漂う薪の煙の匂い、天候によって表情を変える湖の姿。見覚えのある小さなレストラン。かつてと同じ岸辺の散歩道。
場所そのものが私を覚えているはずはないのに、まるでその場所が自分を受け入れてくれているように感じられるのは、不思議と心地よいものだった。
数年経った今でも、泸沽湖が私に何を与えてくれるのか、正確には説明できない。
それは静寂かもしれない。日常からの距離かもしれない。あるいは、広大な湖の前に立ち、自分の注意を奪うものが何もない中で、自分の抱える悩みがいかにちっぽけなものかに気づく、あの奇妙な感覚かもしれない。
あるいは、泸沽湖が私にとっての「心の定点観測地」になったからかもしれない。
戻るたびに、私はそこで異なる自分に出会う。
初めて訪れたときの自分は、逃げ場所を探していた。
再び訪れたときの自分は、平穏を探していた。
And perhaps the person who goes back next time will be looking for something else entirely.
そして次に訪れるときの自分は、きっとまた別の何かを探しているのだろう。
それが、私が泸沽湖に戻り続ける理由だ。
湖がいつも変わらないからではなく、そこに辿り着くときの私が、決して同じではないからだ。