ジェノバラインに乗って淡路島にやってきました。地図上では、乗り場のすぐ目の前なにですが、こんもりと草木が繁茂した小山はあるのですが、どこから入ったら良いかわかりませんでした。
地元の人に訪ねて場所は分かりましたが、周囲を回ってみても登り口はなく、近所の人に聞いても草木で覆われて登れないとのこと。訪ねてきたのを不思議そうな顔で見られました。観光地として整備されていないので、下から眺めるだけです。
「村上水軍の娘」を読んで、信長と石山本願寺の合戦の時に本願寺に兵糧を運ぶ毛利氏(村上水軍)と信長の間でこの城の争奪戦がありました。その時からこの城に興味を持っていました。淡路島に行ったらぜひ行こうと考えていて、やっと実現しました。江戸時代初期に洲本城ができて、この城は廃城になったようです。
ジェノバラインで岩屋港に到着すると直ぐ裏手の小高い山が城の遺構のようです。地図上では示されていたので簡単に訪問出来ると思ったのが大きな勘違いでした。今となっては、登り口が見当たりませんでした。人が通れそうな道をぐるっと1周してみたのですが、案内標識でさえ見つけられませんでした。きちんと整備すれば、明石海峡大橋を望む展望台を兼ねた施設となりそうなのに残念です。
城跡
ジェノバラインに乗って淡路島にやってきました。地図上では、乗り場のすぐ目の前なにですが、こんもりと草木が繁茂した小山はあるのですが、どこから入ったら良いかわかりませんでした。
どこからも登れません
地元の人に訪ねて場所は分かりましたが、周囲を回ってみても登り口はなく、近所の人に聞いても草木で覆われて登れないとのこと。訪ねてきたのを不思議そうな顔で見られました。観光地として整備されていないので、下から眺めるだけです。
室町時代の後期に海上監視の要塞として築かれたそうです。
「村上水軍の娘」を読んで、信長と石山本願寺の合戦の時に本願寺に兵糧を運ぶ毛利氏(村上水軍)と信長の間でこの城の争奪戦がありました。その時からこの城に興味を持っていました。淡路島に行ったらぜひ行こうと考えていて、やっと実現しました。江戸時代初期に洲本城ができて、この城は廃城になったようです。
上れません。案内標識もありません。
ジェノバラインで岩屋港に到着すると直ぐ裏手の小高い山が城の遺構のようです。地図上では示されていたので簡単に訪問出来ると思ったのが大きな勘違いでした。今となっては、登り口が見当たりませんでした。人が通れそうな道をぐるっと1周してみたのですが、案内標識でさえ見つけられませんでした。きちんと整備すれば、明石海峡大橋を望む展望台を兼ねた施設となりそうなのに残念です。