グラバー園で旧長崎高商表門衛所の近くを歩いていると歩道の横に消火栓のようなものと解説が目に留まりました。横浜、函館に続いて日本で三番目の水道だそうで、グラバー園内にもあるリンガーも水道敷設に関わった人物とのことが書かれてありました。
長崎に水道ができたのは明治24年のことだそうです。広いグラバー園の真ん中あたりに旧ウォーカー住宅がありますが、そこにほど近い通路わきに、この古めかしい水道栓がありました。 説明板によると、当時は、毎朝、この水道栓を開き、夕方には閉じるという作業をしていたそうです。
グラバー園内、旧三菱第2ドックハウスへ向かう動く歩道の入口近くにポツンと立っている。 横浜、函館に続き、長崎には1891年に近代水道が通ったとのこと。錆に覆われ年季の入ったこの共用栓はその頃に使われていたものなのであろう。
グラバー園の第2ゲートから園内に入った私たちは、上の方から園内の中ほどに降りてきました。ウォーカー住宅に近づいたあたりで、こちらの明治時代の水道共用栓を見つけました。 長崎に水道が整備されたのは明治24年のことだそうです。当時のこの水道栓は、朝に栓を開いて夕方には閉じるという作業が必要だったそうです。
第一ゲートからグラバー園に入り、二つ目の動く歩道手前に古いこの水道栓がありました。 そばには説明板。(風雨にサラされて読みにくい) それに寄れば明治24年に水道設備が完成しましたが、現在のようなシステムではなく、朝晩にこのような水栓を係が開け閉めしていたようです。
グラバー園内の歩道の横に
グラバー園で旧長崎高商表門衛所の近くを歩いていると歩道の横に消火栓のようなものと解説が目に留まりました。横浜、函館に続いて日本で三番目の水道だそうで、グラバー園内にもあるリンガーも水道敷設に関わった人物とのことが書かれてありました。
長崎の水道は明治24年にできたそうです
長崎に水道ができたのは明治24年のことだそうです。広いグラバー園の真ん中あたりに旧ウォーカー住宅がありますが、そこにほど近い通路わきに、この古めかしい水道栓がありました。 説明板によると、当時は、毎朝、この水道栓を開き、夕方には閉じるという作業をしていたそうです。
日本で3番目に近代水道ができた長崎
グラバー園内、旧三菱第2ドックハウスへ向かう動く歩道の入口近くにポツンと立っている。 横浜、函館に続き、長崎には1891年に近代水道が通ったとのこと。錆に覆われ年季の入ったこの共用栓はその頃に使われていたものなのであろう。
明治時代にできた水道の共用栓
グラバー園の第2ゲートから園内に入った私たちは、上の方から園内の中ほどに降りてきました。ウォーカー住宅に近づいたあたりで、こちらの明治時代の水道共用栓を見つけました。 長崎に水道が整備されたのは明治24年のことだそうです。当時のこの水道栓は、朝に栓を開いて夕方には閉じるという作業が必要だったそうです。
昔の名残の水道設備。
第一ゲートからグラバー園に入り、二つ目の動く歩道手前に古いこの水道栓がありました。 そばには説明板。(風雨にサラされて読みにくい) それに寄れば明治24年に水道設備が完成しましたが、現在のようなシステムではなく、朝晩にこのような水栓を係が開け閉めしていたようです。