剣豪武蔵への想いを忍ばせるべき場所であって欲しかったのですが、現地に標柱があるのみで近くに案内表示はもとより、これといった証跡も無いため、少し残念になりました。せっかく熊本城にも近いのですから、何かの施設を整備しても良いかな〜と思ってます。
橋沿いの外城の東側にある。植物はよく成長しているが、武蔵の晩年を記念される標柱と説明だけを残っている。
宮本武蔵が熊本にやってきた際、城主から与えられた住居があった場所ですが、残念ながら旧居の形は全く残っていません。熊本城近くの熊本西年金事務所敷地内に白い標柱が、また、坪井川の対岸に石柱があり、かろうじて旧居跡を知ることができます。 武蔵は、霊巌洞や五百羅漢を始め熊本のあちこちに痕跡を残しています。古文書等により旧居の復元ができればいいですね。
剣豪宮本武蔵が細川藩に抱えられ、晩年を肥後で暮らした事は知っていたが、熊本城近くに居を構えていた事は知らなかった。 この旧居跡は、城の麓の小川沿いの歩道にひっそりとあった。
剣豪宮本武蔵が最期を過ごしたのは熊本だったんですねえ。有名な五輪書の執筆も。そんな歴史を知ったのは熊本城ちかくにあった観光マップの掲示板でした。面白そうと探してみましたが、坪井川沿いの道は行き止まり。住居があったとされる千葉城跡にはNHKの建物があり、そう簡単に入れません。仕方ないなあと歩いていたら、年金機構の建物前に旧居跡の木碑。しかも立っているのは、川の土手なのです。あんな場所に住めるわけもな...
少し残念
剣豪武蔵への想いを忍ばせるべき場所であって欲しかったのですが、現地に標柱があるのみで近くに案内表示はもとより、これといった証跡も無いため、少し残念になりました。せっかく熊本城にも近いのですから、何かの施設を整備しても良いかな〜と思ってます。
標柱と説明
橋沿いの外城の東側にある。植物はよく成長しているが、武蔵の晩年を記念される標柱と説明だけを残っている。
標柱のみ
宮本武蔵が熊本にやってきた際、城主から与えられた住居があった場所ですが、残念ながら旧居の形は全く残っていません。熊本城近くの熊本西年金事務所敷地内に白い標柱が、また、坪井川の対岸に石柱があり、かろうじて旧居跡を知ることができます。 武蔵は、霊巌洞や五百羅漢を始め熊本のあちこちに痕跡を残しています。古文書等により旧居の復元ができればいいですね。
熊本城近く
剣豪宮本武蔵が細川藩に抱えられ、晩年を肥後で暮らした事は知っていたが、熊本城近くに居を構えていた事は知らなかった。 この旧居跡は、城の麓の小川沿いの歩道にひっそりとあった。
武蔵の晩年は熊本だった
剣豪宮本武蔵が最期を過ごしたのは熊本だったんですねえ。有名な五輪書の執筆も。そんな歴史を知ったのは熊本城ちかくにあった観光マップの掲示板でした。面白そうと探してみましたが、坪井川沿いの道は行き止まり。住居があったとされる千葉城跡にはNHKの建物があり、そう簡単に入れません。仕方ないなあと歩いていたら、年金機構の建物前に旧居跡の木碑。しかも立っているのは、川の土手なのです。あんな場所に住めるわけもな...