河合曽良は松尾芭蕉の弟子で、信濃諏訪の出身だとか。松尾芭蕉と別れて河合曽良は幕府の諸国見廻り役をしていて西国見分の際、対馬へ渡ろうと勝本に付きニワカの病でここで亡くなりました。墓もここにあります。南無。墓への道は迷いやすく住民の方々の墓地に入ってしまい戻ったりと結構大変です。
松尾芭蕉の弟子・河合曽良の墓です。この地にて客死した曽良を壱岐の人は今でも丁重に扱っていますが、この墓はふつうの墓地です。勝本城の近くで、アップダウンがあるため注意が必要です。
訪れるまで、芭蕉の弟子が壱岐に来ていたとは知りませんでした。河合曽良の出身は長野県の諏訪とのことで、友好関係にあり諏訪の御柱も勝本城址近くにあります。お墓はいわゆる墓場にあり、看板を目印に探さないとなかなか見つかりません。勝本城跡から下る道がありますが、結局ほぼ車道近くまで下らないとお墓には行けないので、下の車道側から訪れる方がよいかも知れません。分かれ道に小さな看板がありますが上へ登る道は城跡へ...
なんで松尾芭蕉の弟子がここにいるのか、わかりませんでしたが、友達が芭蕉好きだったので、一緒に行くことになりました。普通のお墓なので、知らないと行かないと思います。
連れが観光船に乗りに行っている間に身に行って来ました。ちょちょとちょっと わかりずらいところにありました。
河合曽良の墓
河合曽良は松尾芭蕉の弟子で、信濃諏訪の出身だとか。松尾芭蕉と別れて河合曽良は幕府の諸国見廻り役をしていて西国見分の際、対馬へ渡ろうと勝本に付きニワカの病でここで亡くなりました。墓もここにあります。南無。墓への道は迷いやすく住民の方々の墓地に入ってしまい戻ったりと結構大変です。
松尾芭蕉の弟子
松尾芭蕉の弟子・河合曽良の墓です。この地にて客死した曽良を壱岐の人は今でも丁重に扱っていますが、この墓はふつうの墓地です。勝本城の近くで、アップダウンがあるため注意が必要です。
奥の細道の弟子のお墓が壱岐に
訪れるまで、芭蕉の弟子が壱岐に来ていたとは知りませんでした。河合曽良の出身は長野県の諏訪とのことで、友好関係にあり諏訪の御柱も勝本城址近くにあります。お墓はいわゆる墓場にあり、看板を目印に探さないとなかなか見つかりません。勝本城跡から下る道がありますが、結局ほぼ車道近くまで下らないとお墓には行けないので、下の車道側から訪れる方がよいかも知れません。分かれ道に小さな看板がありますが上へ登る道は城跡へ...
松尾芭蕉の弟子
なんで松尾芭蕉の弟子がここにいるのか、わかりませんでしたが、友達が芭蕉好きだったので、一緒に行くことになりました。普通のお墓なので、知らないと行かないと思います。
芭蕉の弟子 河合曽良
連れが観光船に乗りに行っている間に身に行って来ました。ちょちょとちょっと わかりずらいところにありました。