大河内陶磁器村の入り口にある川沿いにある墓石の複合体です。鍋島焼のアーティストでしたが、個人の名前は不明です。支払いのレスペ...
佐賀県、伊万里焼きの郷、大川内にある陶工無縁塔です。 川内山は、鍋島藩の藩窯のあった場所です。ここで作られた陶器は幕閣に献上されており、高い秘術のある陶工で、無名の陶工、880基を集めた供養塔です。 高麗人もいたそうです。
秘窯の里・大川内山は周りを山に囲まれており、江戸時代に製作技法が外に漏れないようにするため、佐賀藩の御用窯として陶磁器生産の拠点を有田から大川内山に移され、入口に番所を設けて外部の侵入を阻止するなど、厳重に管理することで高度な技法が流出するのを防いでいた歴史があり、陶磁器生産に従事していた方は大川内山の外に出る事も許されなかったとの事。その陶工達の墓が陶工無縁塔としてあります。こういう歴史があって...
焼き物のふるさとである伊万里の大川内山。道の両脇に数多くの窯元が並んでいるこの集落の入り口に、鍋島藩窯橋が架かっています。この橋から、小さな川の向う岸を見ると、無数のお墓が建っていました。 その中に、たくさんの小さなお墓が集まってピラミッド型をしたお墓がありました。それが陶工無縁塔でした。江戸時代には、こうした無名の陶工たちによって鍋島焼は支えられていたようです。
鍋島焼のふるさとである大川内山の入り口には、鍋島藩窯橋という橋が架かっています。この橋の欄干は、鍋島焼のふるさとにふさわしく、鍋島焼(?)の陶器が施されていますが、橋から下を見ると、お墓が重なるように建っていました。これが、陶工無縁塔でした。 ここは、高麗人をはじめ、江戸時代の陶工たち880基の無縁墓標を集めた供養塔なんだそうです。こうした無名の陶工たちによって、鍋島焼がつくられたという証な...
陶芸家の記念碑
大河内陶磁器村の入り口にある川沿いにある墓石の複合体です。鍋島焼のアーティストでしたが、個人の名前は不明です。支払いのレスペ...
880基の無縁墓
佐賀県、伊万里焼きの郷、大川内にある陶工無縁塔です。 川内山は、鍋島藩の藩窯のあった場所です。ここで作られた陶器は幕閣に献上されており、高い秘術のある陶工で、無名の陶工、880基を集めた供養塔です。 高麗人もいたそうです。
陶工達の墓
秘窯の里・大川内山は周りを山に囲まれており、江戸時代に製作技法が外に漏れないようにするため、佐賀藩の御用窯として陶磁器生産の拠点を有田から大川内山に移され、入口に番所を設けて外部の侵入を阻止するなど、厳重に管理することで高度な技法が流出するのを防いでいた歴史があり、陶磁器生産に従事していた方は大川内山の外に出る事も許されなかったとの事。その陶工達の墓が陶工無縁塔としてあります。こういう歴史があって...
鍋島焼を支えた陶工たちのお墓。
焼き物のふるさとである伊万里の大川内山。道の両脇に数多くの窯元が並んでいるこの集落の入り口に、鍋島藩窯橋が架かっています。この橋から、小さな川の向う岸を見ると、無数のお墓が建っていました。 その中に、たくさんの小さなお墓が集まってピラミッド型をしたお墓がありました。それが陶工無縁塔でした。江戸時代には、こうした無名の陶工たちによって鍋島焼は支えられていたようです。
鍋島藩窯橋から
鍋島焼のふるさとである大川内山の入り口には、鍋島藩窯橋という橋が架かっています。この橋の欄干は、鍋島焼のふるさとにふさわしく、鍋島焼(?)の陶器が施されていますが、橋から下を見ると、お墓が重なるように建っていました。これが、陶工無縁塔でした。 ここは、高麗人をはじめ、江戸時代の陶工たち880基の無縁墓標を集めた供養塔なんだそうです。こうした無名の陶工たちによって、鍋島焼がつくられたという証な...