チャイナタウンから埠頭まで運河を歩いていると、これは興味深い停留所です。遺物の建物はポルトガルとオランダの集落から残っています(2年後に残された港)。...を通り過ぎ続けます
江戸時代、鎖国を続けていた我が国の唯一の貿易拠点が、長崎の出島です。出島は再建が進んでいて、当時の様子を見ることができるようになっていました。出島へと向かう橋を渡って、左手に少し進んだところに、平らな石が置かれていました。これは日時計で、日本初のものなんだそうです。 明治3年に赴任した商館長ヘルマン・クリスチャン・カステンスによって出島に石造日時計が設置されました。現在、出島に展示されているの...
出島神学校側にある庭園に、長方形の石の基盤を持つ日時計がありました。この日時計は、わが国初の石造日時計なんだそうです。長方形の石には、放射状の目盛りをいくつも刻み、日影棒が付けられていました。 この日時計は、1766年から1767年に滞在した商館長ヘルマン・クリスチャン・カステンスが備え付けたものと伝わっています。
出島和蘭商館跡の庭園に、わが国初の石造日時計の複製品があります。長方形の石盤に放射状の目盛りが刻まれ、鉄製の細い棒が立っています。目立たないので注意していないと通り過ごします。
出島の中にある日時計ですが、長崎が日本の標準時の明石よりずいぶん西にあるため日本時間より少しずれています。
出島から長崎埠頭へ
チャイナタウンから埠頭まで運河を歩いていると、これは興味深い停留所です。遺物の建物はポルトガルとオランダの集落から残っています(2年後に残された港)。...を通り過ぎ続けます
日本初の日時計が出島にありました
江戸時代、鎖国を続けていた我が国の唯一の貿易拠点が、長崎の出島です。出島は再建が進んでいて、当時の様子を見ることができるようになっていました。出島へと向かう橋を渡って、左手に少し進んだところに、平らな石が置かれていました。これは日時計で、日本初のものなんだそうです。 明治3年に赴任した商館長ヘルマン・クリスチャン・カステンスによって出島に石造日時計が設置されました。現在、出島に展示されているの...
江戸時代の日時計
出島神学校側にある庭園に、長方形の石の基盤を持つ日時計がありました。この日時計は、わが国初の石造日時計なんだそうです。長方形の石には、放射状の目盛りをいくつも刻み、日影棒が付けられていました。 この日時計は、1766年から1767年に滞在した商館長ヘルマン・クリスチャン・カステンスが備え付けたものと伝わっています。
あまり目立たない
出島和蘭商館跡の庭園に、わが国初の石造日時計の複製品があります。長方形の石盤に放射状の目盛りが刻まれ、鉄製の細い棒が立っています。目立たないので注意していないと通り過ごします。
少しずれてる
出島の中にある日時計ですが、長崎が日本の標準時の明石よりずいぶん西にあるため日本時間より少しずれています。