国場川にかかる真玉橋のたもとにあります。今回、初めて訪問しました。 沖縄戦中、一部が破壊され、残っていた石橋の部分もアメリカ軍が鉄橋をかける際に埋められてしまっていたそうです。 1996年に行われた調査で石畳やアーチ部分が発掘されました。 現在は、復元されたものが展示されており、豊見城市の有形文化財に指定されています。
アーチ状の石組みが2か所に残っています。現地にあった説明書きによると沖縄戦で破壊された真玉橋の石組みが新しい橋の工事中に出てきたとのことです。場所は動かしたようです。
2017年11月に見に行きました。戦前の橋の遺構です。 昔は5つのアーチが連なっていたそうですが、発掘され残っているのは2つです。豊見城市指定の文化財になっています。 現在使われている真玉橋(まだんばし)のたもとに復元され展示してあります。
那覇市と豊見城市を結ぶ真玉橋の袂に旧真玉橋の遺構が展示されていました。那覇市側と豊見城市側の両方に同じような遺構が設置されており、説明板も同じような感じとなっていました。地図によっては、豊見城市側のみ表記されている為、最初は豊見城市側だけ見学しようとしたところ、実際には両側に設置されていた次第です。路線バスん運行本数は圧倒的に那覇市側の方が多い為、那覇市側から訪問した方が良さそうでした。
真玉橋は豊見城市の国場川にかかる橋で、琉球王府時代、首里王府と南山を結ぶために 作られたものです。 石造りの5連のアーチ橋は琉球王国消滅後も残っていましたが、沖縄戦の際、日本軍が退却する時に橋の一部が破壊されてしまいました。 残った石橋の部分も、米軍による鉄橋架設工事により、埋められてしまいました。 近年、旧真玉橋の石橋の遺構が発掘され、現在の橋のたもとに遺構の一部が移設保存され、当時...
石橋の遺構
国場川にかかる真玉橋のたもとにあります。今回、初めて訪問しました。 沖縄戦中、一部が破壊され、残っていた石橋の部分もアメリカ軍が鉄橋をかける際に埋められてしまっていたそうです。 1996年に行われた調査で石畳やアーチ部分が発掘されました。 現在は、復元されたものが展示されており、豊見城市の有形文化財に指定されています。
2つあります
アーチ状の石組みが2か所に残っています。現地にあった説明書きによると沖縄戦で破壊された真玉橋の石組みが新しい橋の工事中に出てきたとのことです。場所は動かしたようです。
昔のアーチ状の橋
2017年11月に見に行きました。戦前の橋の遺構です。 昔は5つのアーチが連なっていたそうですが、発掘され残っているのは2つです。豊見城市指定の文化財になっています。 現在使われている真玉橋(まだんばし)のたもとに復元され展示してあります。
真玉橋の袂に設置された旧真玉橋遺構
那覇市と豊見城市を結ぶ真玉橋の袂に旧真玉橋の遺構が展示されていました。那覇市側と豊見城市側の両方に同じような遺構が設置されており、説明板も同じような感じとなっていました。地図によっては、豊見城市側のみ表記されている為、最初は豊見城市側だけ見学しようとしたところ、実際には両側に設置されていた次第です。路線バスん運行本数は圧倒的に那覇市側の方が多い為、那覇市側から訪問した方が良さそうでした。
石造りのアーチ橋の遺構
真玉橋は豊見城市の国場川にかかる橋で、琉球王府時代、首里王府と南山を結ぶために 作られたものです。 石造りの5連のアーチ橋は琉球王国消滅後も残っていましたが、沖縄戦の際、日本軍が退却する時に橋の一部が破壊されてしまいました。 残った石橋の部分も、米軍による鉄橋架設工事により、埋められてしまいました。 近年、旧真玉橋の石橋の遺構が発掘され、現在の橋のたもとに遺構の一部が移設保存され、当時...