新し目の道路脇にありました。 車も数台停められます。 石段を上ると欽明天皇陵と同じような石の鳥居や柵が見えます。 右手から陵沿いに歩くと途中で陵の裏手に出るような小道があり、 ぐるっと一周できるようになっています。 裏手は鬱蒼とした木々が茂り鳥のさえずりが絶え間なく聞こえ、 開放的な正面とはまた違った趣となります。
一応、登ってみたという感じですね。古代を思わせる工夫した展示物はなかったと思います。古代日本の重要人物なので、詳しい人は感慨を持つのではと思います。
天武天皇は壬申の乱を勝利に導き、持統天皇は妻として天武天皇の亡き後の政治を担った人物です。夫婦ですが叔父と姪との関係でもありますね。この時代の天皇の陵は特定が難しいものの、ここは天武・持統天皇の陵として間違いないと定義付けられいます。場所は小高い丘の上に有ります。
夫婦でもある天武、持統両天皇の合葬墳墓だ。天皇陵は発掘調査がなされないケースが多く、被葬者は推測の域を出ないが、この古墳は鎌倉時代に盗掘された時の記録が残存していることから被葬者が特定されている。石室は八角形、墳丘墓も円墳か八角形墳とされ、天皇陵に見られる「聖なる八角形」をしている。幹線道路から階段をしばらく上った丘に石室の入り口があり、ちょうど神社仏閣に参拝するような感じがする。
歴史に興味が無ければ、鳥居と小山があるだけで、その辺の神社より見ごたえはありません。 が、歴女ならぬ歴ジジイにとっては天武と持統が眠っている場所と思うとたまらない場所です。 まだ埋葬された状態なのか、無くなっているのか分かりませんが、調査してもらいたい気もするし、そのままにしてもらいたい気もするし・・・ ちなみに土曜日の昼に行きましたが、他に誰もおらず、ちょっと寂しい感じでした。
陵を一周
新し目の道路脇にありました。 車も数台停められます。 石段を上ると欽明天皇陵と同じような石の鳥居や柵が見えます。 右手から陵沿いに歩くと途中で陵の裏手に出るような小道があり、 ぐるっと一周できるようになっています。 裏手は鬱蒼とした木々が茂り鳥のさえずりが絶え間なく聞こえ、 開放的な正面とはまた違った趣となります。
道路添いにありました
一応、登ってみたという感じですね。古代を思わせる工夫した展示物はなかったと思います。古代日本の重要人物なので、詳しい人は感慨を持つのではと思います。
飛鳥時代の実力有る天皇でした。
天武天皇は壬申の乱を勝利に導き、持統天皇は妻として天武天皇の亡き後の政治を担った人物です。夫婦ですが叔父と姪との関係でもありますね。この時代の天皇の陵は特定が難しいものの、ここは天武・持統天皇の陵として間違いないと定義付けられいます。場所は小高い丘の上に有ります。
小高い丘の上に
夫婦でもある天武、持統両天皇の合葬墳墓だ。天皇陵は発掘調査がなされないケースが多く、被葬者は推測の域を出ないが、この古墳は鎌倉時代に盗掘された時の記録が残存していることから被葬者が特定されている。石室は八角形、墳丘墓も円墳か八角形墳とされ、天皇陵に見られる「聖なる八角形」をしている。幹線道路から階段をしばらく上った丘に石室の入り口があり、ちょうど神社仏閣に参拝するような感じがする。
歴ジジイにはたまらない場所です
歴史に興味が無ければ、鳥居と小山があるだけで、その辺の神社より見ごたえはありません。 が、歴女ならぬ歴ジジイにとっては天武と持統が眠っている場所と思うとたまらない場所です。 まだ埋葬された状態なのか、無くなっているのか分かりませんが、調査してもらいたい気もするし、そのままにしてもらいたい気もするし・・・ ちなみに土曜日の昼に行きましたが、他に誰もおらず、ちょっと寂しい感じでした。