六郷満山・中山本寺の一つである天念寺の寺域はかなり広く、長岩屋川流域の上流から下流の約3kmの細長い谷筋で、十二の院と坊で構成されていたそうです。地名の長岩屋は天念寺の中世の呼び名で、25m程の岩屋に講堂や身濯神社が収まっていたからです。 昭和16年(1941年)の水害では、本堂・鐘楼・鳥居・車橋・石造仁王・護摩堂・巨椋の木・国東塔などが流出し、一段高い場所にあった身濯神社・講堂は幸い残った...
観音様をお祭りしているお寺です。川の中にお不動様があって、その昔川の氾濫を鎮めたとか、六郷満山に行かれた際には寄ってみたいところの一つです。
大分に来たら是非行ってみたいと思っていました。 現在、全国百名城を巡っており、大分の中津城の後寄ってみました。 息子は10歳にもなるし、一緒に楽しめるかもしれないと、、、。 でも、、、すごく後悔しました。 こんなに急なところだとは、、実際に落ちたら死ぬなと思いました。 その瞬間から連れてきた親の責任として、もし子供に何かあったら、、とすごく後悔しました。 所々ある、お地蔵さんには「無事...
国東半島をドライブの際に、余り時間に余裕が無いので、ショートカットの道すがら、川中不動をお参りしてきました。無住職の寺院はパンフレットとかなりギャップが感じられましたが、辺りの風景に調和した素朴な川中不動は心安らぎました。 全く期待をせずに入店した資料館の食堂の蕎麦は思わぬ旨さでした。
少し離れた駐車場から親水公園のように整備された川沿いを行くと、小さなお堂が見える。川中不動の反対側だ。無人で、少し荒れたように見える。参道のように整備された親水公園も耶馬渓になぞられるほど奇岩巨岩が連続する風景だが、散策路がやはり荒れていて少し残念だ。ここの御朱印は長安寺でいただいた。
昭和16年(1941年)10月1日、三畑ダムの決壊による長岩屋川の氾濫で大部分が流出しました。
六郷満山・中山本寺の一つである天念寺の寺域はかなり広く、長岩屋川流域の上流から下流の約3kmの細長い谷筋で、十二の院と坊で構成されていたそうです。地名の長岩屋は天念寺の中世の呼び名で、25m程の岩屋に講堂や身濯神社が収まっていたからです。 昭和16年(1941年)の水害では、本堂・鐘楼・鳥居・車橋・石造仁王・護摩堂・巨椋の木・国東塔などが流出し、一段高い場所にあった身濯神社・講堂は幸い残った...
裏山は修験道場
観音様をお祭りしているお寺です。川の中にお不動様があって、その昔川の氾濫を鎮めたとか、六郷満山に行かれた際には寄ってみたいところの一つです。
息子と行ってきました。心配で堪らなかった。。。
大分に来たら是非行ってみたいと思っていました。 現在、全国百名城を巡っており、大分の中津城の後寄ってみました。 息子は10歳にもなるし、一緒に楽しめるかもしれないと、、、。 でも、、、すごく後悔しました。 こんなに急なところだとは、、実際に落ちたら死ぬなと思いました。 その瞬間から連れてきた親の責任として、もし子供に何かあったら、、とすごく後悔しました。 所々ある、お地蔵さんには「無事...
信心より食い気
国東半島をドライブの際に、余り時間に余裕が無いので、ショートカットの道すがら、川中不動をお参りしてきました。無住職の寺院はパンフレットとかなりギャップが感じられましたが、辺りの風景に調和した素朴な川中不動は心安らぎました。 全く期待をせずに入店した資料館の食堂の蕎麦は思わぬ旨さでした。
無人
少し離れた駐車場から親水公園のように整備された川沿いを行くと、小さなお堂が見える。川中不動の反対側だ。無人で、少し荒れたように見える。参道のように整備された親水公園も耶馬渓になぞられるほど奇岩巨岩が連続する風景だが、散策路がやはり荒れていて少し残念だ。ここの御朱印は長安寺でいただいた。