説明書からですが、階段状の船着き場を雁木と言うそうです。江戸時代の旅人は舞坂宿~新居宿は船で渡りました。当時の名残を感じることが出来ますよ。
雁木は浜名湖を渡船で行き来していた頃の船着き場で、旧東海道の突き当りが本雁木で一般の旅人が利用し、それより40M南に南雁木があって荷物の荷揚げに利用していたようです。北雁木は本雁木の北40Mくらいのところにあって、一番立派な船着き場です。大名た幕府の公用役人が利用していたようです。荒井宿まで船で渡っていた頃の風情が想像できるところだと思います。
「きたがんげ」と読める人は非常に少ないと思います。 新居宿へはここから船で渡った、とのこと。ただしこちらを使えるのは偉い身分の方だけだったらしく。色が変わっているのは、崩れた石垣を積み直した~とのことです。
「北雁木(きたがんげ)」をご存じですか?弁天島駅から徒歩10分ほどの幕府公用役人用の船場で、当時は舞坂宿と新井宿を往復していたそうです。石碑が立っていて、その横には案内板もあって東海道五十三次の宿場町として知られる舞阪宿の史跡。身分の高い人と庶民の船着き場は分かれていて、ここは石畳が海へと続いている斜面になっています。
東海道の宿場町舞阪を通り過ぎると、浜名湖のほとりに行き止まります。 昔はここから先は、船で渡るしか方法がなく、舟渡場となっていました。 そのなかでも、身分の高い人が乗り降りしたのがこの北雁木です。 岩場の坂道と常夜灯に石垣が、昔を伝えてくれています。
江戸時代の船着き場です
説明書からですが、階段状の船着き場を雁木と言うそうです。江戸時代の旅人は舞坂宿~新居宿は船で渡りました。当時の名残を感じることが出来ますよ。
渡船場
雁木は浜名湖を渡船で行き来していた頃の船着き場で、旧東海道の突き当りが本雁木で一般の旅人が利用し、それより40M南に南雁木があって荷物の荷揚げに利用していたようです。北雁木は本雁木の北40Mくらいのところにあって、一番立派な船着き場です。大名た幕府の公用役人が利用していたようです。荒井宿まで船で渡っていた頃の風情が想像できるところだと思います。
雰囲気があります。
「きたがんげ」と読める人は非常に少ないと思います。 新居宿へはここから船で渡った、とのこと。ただしこちらを使えるのは偉い身分の方だけだったらしく。色が変わっているのは、崩れた石垣を積み直した~とのことです。
古くはお船で宿場町を往来していました
「北雁木(きたがんげ)」をご存じですか?弁天島駅から徒歩10分ほどの幕府公用役人用の船場で、当時は舞坂宿と新井宿を往復していたそうです。石碑が立っていて、その横には案内板もあって東海道五十三次の宿場町として知られる舞阪宿の史跡。身分の高い人と庶民の船着き場は分かれていて、ここは石畳が海へと続いている斜面になっています。
渡船場
東海道の宿場町舞阪を通り過ぎると、浜名湖のほとりに行き止まります。 昔はここから先は、船で渡るしか方法がなく、舟渡場となっていました。 そのなかでも、身分の高い人が乗り降りしたのがこの北雁木です。 岩場の坂道と常夜灯に石垣が、昔を伝えてくれています。