住宅地にあるお寺です。比較的新しい建物に感じました。境内もさほど広くありませんが、立派なお寺のように思います。
枚方市滞在中に駅のすぐ近くにある一乗寺を参拝しました。枚方市駅から徒歩数分の場所にあります。浄土真宗のお寺です。鐘つき堂がとても小さかったのが印象的でしたが境内は広く立派な墓地がありました。
「一乗寺」は、京阪電鉄枚方市駅近くの浄土宗寺院です。かつては天台宗だったという珍しい経歴を持ちます。山門、本堂とも特徴的なものは感じませんが、墓地の一画に建つ「納骨堂」は、遠くから見ても目立ちます。
元は洛北の一乗寺村にあった天台宗の寺院で、現在地が平安京の裏鬼門に当るところから移され、最澄が阿弥陀仏と日吉大神の像を刻し、王城鎮護の寺社と定めた事に始まるという。 応仁の乱の戦火で寺は焼失するが、枚方城主の本多政康が1600年(慶長5年)本堂を再建した。本多氏は豊臣秀吉に仕えたが、大坂夏の陣のとき、徳川方に攻められ、枚方城は落城、政康は戦死し、本多氏は没落した。
住宅のそばにあります。
住宅地にあるお寺です。比較的新しい建物に感じました。境内もさほど広くありませんが、立派なお寺のように思います。
立派なお寺さんでした。
枚方市滞在中に駅のすぐ近くにある一乗寺を参拝しました。枚方市駅から徒歩数分の場所にあります。浄土真宗のお寺です。鐘つき堂がとても小さかったのが印象的でしたが境内は広く立派な墓地がありました。
枚方市駅近くの浄土宗寺院
「一乗寺」は、京阪電鉄枚方市駅近くの浄土宗寺院です。かつては天台宗だったという珍しい経歴を持ちます。山門、本堂とも特徴的なものは感じませんが、墓地の一画に建つ「納骨堂」は、遠くから見ても目立ちます。
一乗寺
元は洛北の一乗寺村にあった天台宗の寺院で、現在地が平安京の裏鬼門に当るところから移され、最澄が阿弥陀仏と日吉大神の像を刻し、王城鎮護の寺社と定めた事に始まるという。 応仁の乱の戦火で寺は焼失するが、枚方城主の本多政康が1600年(慶長5年)本堂を再建した。本多氏は豊臣秀吉に仕えたが、大坂夏の陣のとき、徳川方に攻められ、枚方城は落城、政康は戦死し、本多氏は没落した。