何となく寂しく建つ記念塔だけど、大いに感動を覚えました。 『田辺朔郎博士60年史』によると、 大正5年(1916年)8月23日付の地元新聞に次のような内容の記事が掲載されたとのことです。 見出:千年の後まで北海道鉄道史を物語る記念塔 本文:京都帝国大学工学部長、工学博士田辺朔郎氏は19日終列車にて来釧、翌20日築港を視察し、更らに22日、午前6時より支庁長、町長等の案内で釧路公園を視察し8時40分...
幸町公園内にある国鉄時代の記念塔です。壁には明治から大正にかけての達成記録が刻まれ、別の面には昭和初めの市長の言葉が刻まれています。ひょっとしたら昭和期に置かれた記念塔なのかなと思いました。
釧路市内の幸町公園の一角にあります。この場所はかつての釧路駅で転車台があった場所ということで、SLの展示や記念碑があるんですね。開通記念などではなく、北海道の鉄道が1000マイル(約1600キロ)になったことを記念した碑だそう。廃線が相次ぐ今とはまったく時代が違いますよね。
幸町公園内の一角に立つ大きなモニュメントでした。周囲を見回せてみても文字の刻まれた面もあれば、何も刻まれていない面もあるようで将来的に何かを刻む事が出来るように準備されているようにも見えました。
JR釧路駅からほど近い幸町公園の隅に有る石造りの重厚な長方形の石造りの鉄道記念塔です。 今や毎年のようにどこかのローカル路線を廃線決定をしているJR北海道ですがこの碑は北海道内の鉄道 が1000マイル(約1600km)に到達したことを記念して建てられました。 になったことを記念して建立された。 この碑がある幸町公園は旧釧路駅の転車台が有った場所ということである。
北海道の発展に貢献した明治の先人たちにエールをおくります。
何となく寂しく建つ記念塔だけど、大いに感動を覚えました。 『田辺朔郎博士60年史』によると、 大正5年(1916年)8月23日付の地元新聞に次のような内容の記事が掲載されたとのことです。 見出:千年の後まで北海道鉄道史を物語る記念塔 本文:京都帝国大学工学部長、工学博士田辺朔郎氏は19日終列車にて来釧、翌20日築港を視察し、更らに22日、午前6時より支庁長、町長等の案内で釧路公園を視察し8時40分...
達成記念の年表が有ります。
幸町公園内にある国鉄時代の記念塔です。壁には明治から大正にかけての達成記録が刻まれ、別の面には昭和初めの市長の言葉が刻まれています。ひょっとしたら昭和期に置かれた記念塔なのかなと思いました。
公園の一角に
釧路市内の幸町公園の一角にあります。この場所はかつての釧路駅で転車台があった場所ということで、SLの展示や記念碑があるんですね。開通記念などではなく、北海道の鉄道が1000マイル(約1600キロ)になったことを記念した碑だそう。廃線が相次ぐ今とはまったく時代が違いますよね。
幸町公園内のモニュメント
幸町公園内の一角に立つ大きなモニュメントでした。周囲を見回せてみても文字の刻まれた面もあれば、何も刻まれていない面もあるようで将来的に何かを刻む事が出来るように準備されているようにも見えました。
かつての国鉄の栄光は何処へ?
JR釧路駅からほど近い幸町公園の隅に有る石造りの重厚な長方形の石造りの鉄道記念塔です。 今や毎年のようにどこかのローカル路線を廃線決定をしているJR北海道ですがこの碑は北海道内の鉄道 が1000マイル(約1600km)に到達したことを記念して建てられました。 になったことを記念して建立された。 この碑がある幸町公園は旧釧路駅の転車台が有った場所ということである。