再訪しました。 港から近い立地ですが、民家の裏のような場所で意外な印象を持ちました。石組の大きな墓地ですが、地元の方のおかげか綺麗に整えられており荒れた感じはありませんでした。
「仲宗根豊見親墓」の脇を上に上がって行くと標識があり、それに従って進むと石垣が特徴的な墓地に行き当たりました。宮古島市教育委員会による説明板が設置されており、後妻(あとんま)を葬ったと記されていました。
仲宗根豊見親墓のより奥まった場所にあります。アントマとは側室を意味するそうで、豊見親墓に入ることができなかった側室ばかりが入ったお墓になります。アーチ状の岩が施してある入口を通るのが珍しい構造だそうで、見る価値があるのかなと思います。
16世紀初頭の宮古島の支配者の後妻の墓。本妻とは一緒にまつることができず、別にお墓がつくられたとのこと。石積みが美しい墓です。
仲曽根豊見親を元祖に数多くの頭職を出し勢力を誇った系統である忠導氏にゆかりのある墓で、同族のあとんま(後妻)が葬られているお墓です。
民家の裏手に立地
再訪しました。 港から近い立地ですが、民家の裏のような場所で意外な印象を持ちました。石組の大きな墓地ですが、地元の方のおかげか綺麗に整えられており荒れた感じはありませんでした。
後妻(あとんま)を葬った墓
「仲宗根豊見親墓」の脇を上に上がって行くと標識があり、それに従って進むと石垣が特徴的な墓地に行き当たりました。宮古島市教育委員会による説明板が設置されており、後妻(あとんま)を葬ったと記されていました。
側室用
仲宗根豊見親墓のより奥まった場所にあります。アントマとは側室を意味するそうで、豊見親墓に入ることができなかった側室ばかりが入ったお墓になります。アーチ状の岩が施してある入口を通るのが珍しい構造だそうで、見る価値があるのかなと思います。
宮古島の支配者の後妻の墓
16世紀初頭の宮古島の支配者の後妻の墓。本妻とは一緒にまつることができず、別にお墓がつくられたとのこと。石積みが美しい墓です。
後妻のお墓
仲曽根豊見親を元祖に数多くの頭職を出し勢力を誇った系統である忠導氏にゆかりのある墓で、同族のあとんま(後妻)が葬られているお墓です。