八重岳から下りてくると本部方面へ向かう道路の坂の途中からすこし未舗装路を入ったところなのですが、入口には案内板があるものの、奥まで行ってみても老朽化して読めない史跡案内が建っている程度でした。 その奥は大きな鉄のゲートが閉じられて、施錠されていました。
本部町の八重岳中腹にひっそりとあった沖縄陸軍病院名護分院、通称八重岳野戦病院の跡。独立混成第44旅団第二大隊(俗称:宇土支隊)の野戦病院がここに置かれていました。 沖縄県立第三高等女学校の生徒から構成された「なごらん学徒隊」が学徒隊看護要員として配属になった野戦病院になります。第二大隊は本島守備隊として八重岳・真部山を中心に布陣していましたが、伊江島を守備していた第一大隊が米軍上陸時に壊滅的な打...
この保存状態では残念すぎます。
八重岳から下りてくると本部方面へ向かう道路の坂の途中からすこし未舗装路を入ったところなのですが、入口には案内板があるものの、奥まで行ってみても老朽化して読めない史跡案内が建っている程度でした。 その奥は大きな鉄のゲートが閉じられて、施錠されていました。
ここにも学徒隊が配属されていました。
本部町の八重岳中腹にひっそりとあった沖縄陸軍病院名護分院、通称八重岳野戦病院の跡。独立混成第44旅団第二大隊(俗称:宇土支隊)の野戦病院がここに置かれていました。 沖縄県立第三高等女学校の生徒から構成された「なごらん学徒隊」が学徒隊看護要員として配属になった野戦病院になります。第二大隊は本島守備隊として八重岳・真部山を中心に布陣していましたが、伊江島を守備していた第一大隊が米軍上陸時に壊滅的な打...