知られざるなどと言っても、自分が知らなかっただけだが、興味深い人物だ。借金にあえいでいた藩の財政を立て直しただけでなく、洋学にも力を入れて適塾の塾頭、伊藤慎蔵を招いたりもした。高島流砲術を取り入れ、この山深い大野に学びに来るものも多かったという。さらに、西洋式帆船を建造、蝦夷地のみならず北蝦夷と言われた樺太開拓にも挑戦(利益が上がらず失敗したらしい)するなど、進取の気質にとんだ君主だったそうだ。ま...
続日本100名城に選ばれている、越前大野城。城跡にこの像があります。江戸時代後期の大野藩主、土井利忠の像。藩政改革に取り組んだ名君です。
江戸後期から幕末の大野藩主です。樺太を領有を幕府に働きかけたり、大野屋という藩の店でネットワークで全国展開した名君らしいです。根室沖で船が沈没しなければ、もしかしたら樺太は日本領になってたかもしれません。最後の藩主、利恒は天狗党が来てそれどころではなかったみたいです。
土井利忠の像です。越前大野城に向かう遊歩道の途上にあります。学問所の開設や、軍制改革、藩の財政再建に尽力したようですね。
越前大野駅から徒歩で越前大野城に行く途中にある像です。像の下には解説もあり、藩店『大野屋』を全国に開店などの実施されたことが色々書いてありました〇
幕末の知られざる名君
知られざるなどと言っても、自分が知らなかっただけだが、興味深い人物だ。借金にあえいでいた藩の財政を立て直しただけでなく、洋学にも力を入れて適塾の塾頭、伊藤慎蔵を招いたりもした。高島流砲術を取り入れ、この山深い大野に学びに来るものも多かったという。さらに、西洋式帆船を建造、蝦夷地のみならず北蝦夷と言われた樺太開拓にも挑戦(利益が上がらず失敗したらしい)するなど、進取の気質にとんだ君主だったそうだ。ま...
幕末の名君
続日本100名城に選ばれている、越前大野城。城跡にこの像があります。江戸時代後期の大野藩主、土井利忠の像。藩政改革に取り組んだ名君です。
土井利忠の像
江戸後期から幕末の大野藩主です。樺太を領有を幕府に働きかけたり、大野屋という藩の店でネットワークで全国展開した名君らしいです。根室沖で船が沈没しなければ、もしかしたら樺太は日本領になってたかもしれません。最後の藩主、利恒は天狗党が来てそれどころではなかったみたいです。
大野藩主
土井利忠の像です。越前大野城に向かう遊歩道の途上にあります。学問所の開設や、軍制改革、藩の財政再建に尽力したようですね。
大野市観光にて
越前大野駅から徒歩で越前大野城に行く途中にある像です。像の下には解説もあり、藩店『大野屋』を全国に開店などの実施されたことが色々書いてありました〇