「官衙」は「かんがい」と呼びますが、武儀郡衙という郡役所の遺跡がある場所です。くわえて、弥勒寺跡、弥勒寺西遺跡などの発掘と合わせて、これらが一つの遺跡群をなしています。遺跡好きであればいってみてもよいかも。
関市池尻の長良川畔に広がる、古代の寺院や役所などの遺跡群です。公園整備事業の一環として実施した発掘調査により、弥勒寺東遺跡が武義郡衙(むぎぐんが=武義郡の役所)跡であることが明らかになり、弥勒寺東遺跡は弥勒寺官衙遺跡として追加指定を受け、同時に史跡の名称が国指定史跡 弥勒寺官衙遺跡群に変更となりました。 役所跡の遺跡といっても礎石などがあるだけで建物が復元されているわけではありません。
弥勒寺遺跡は地方豪族のムゲツ氏が治めた郡衙(ぐんが)に関連する遺跡群が埋まっているとされるエリアです。 一国の国府や国分寺ですら不明な地区も多いようなので、その下位組織である郡衙に至っては、建物跡の柱穴が見つかったとか、伝票代わりの木簡が埋まっていたとかが大半のようです。 芝生だけの広場より、古墳時代の古墳や土器石棺などの方が、具体的な物の形が残り素人が空想しやすいことから観光資源としての価値が高...
弥勒寺官衙遺跡、弥勒寺跡、丸山古窯跡からなる遺跡群ですが、お寺は建物が現存しているわけではなくここにあった遺構を示すものです。窯跡は建物の残骸が残っていて 見ることはできます。
現存の弥勒寺から円空館に向かう途中にあります。今は基石だけですが歴史を感じます。美濃の地にこんな歴史があったなんて、と思いきや戦国武将もこの地から生まれているんですね。 現存の弥勒寺の軒瓦の木喰瓦?も是非チェックしてほしいです。
郡の役所跡
「官衙」は「かんがい」と呼びますが、武儀郡衙という郡役所の遺跡がある場所です。くわえて、弥勒寺跡、弥勒寺西遺跡などの発掘と合わせて、これらが一つの遺跡群をなしています。遺跡好きであればいってみてもよいかも。
国指定遺跡です
関市池尻の長良川畔に広がる、古代の寺院や役所などの遺跡群です。公園整備事業の一環として実施した発掘調査により、弥勒寺東遺跡が武義郡衙(むぎぐんが=武義郡の役所)跡であることが明らかになり、弥勒寺東遺跡は弥勒寺官衙遺跡として追加指定を受け、同時に史跡の名称が国指定史跡 弥勒寺官衙遺跡群に変更となりました。 役所跡の遺跡といっても礎石などがあるだけで建物が復元されているわけではありません。
芝生広場に案内板だけ
弥勒寺遺跡は地方豪族のムゲツ氏が治めた郡衙(ぐんが)に関連する遺跡群が埋まっているとされるエリアです。 一国の国府や国分寺ですら不明な地区も多いようなので、その下位組織である郡衙に至っては、建物跡の柱穴が見つかったとか、伝票代わりの木簡が埋まっていたとかが大半のようです。 芝生だけの広場より、古墳時代の古墳や土器石棺などの方が、具体的な物の形が残り素人が空想しやすいことから観光資源としての価値が高...
お寺などの遺構群
弥勒寺官衙遺跡、弥勒寺跡、丸山古窯跡からなる遺跡群ですが、お寺は建物が現存しているわけではなくここにあった遺構を示すものです。窯跡は建物の残骸が残っていて 見ることはできます。
飛鳥時代からの歴史あるお寺
現存の弥勒寺から円空館に向かう途中にあります。今は基石だけですが歴史を感じます。美濃の地にこんな歴史があったなんて、と思いきや戦国武将もこの地から生まれているんですね。 現存の弥勒寺の軒瓦の木喰瓦?も是非チェックしてほしいです。