《マリア地蔵》があるとのことで訪問しました。 《マリア地蔵》と呼ばれるものとして[埼玉県幸手市]にもありますが こちらの《マリア地蔵》は 子供の持つ蓮華の先が十字状(添付 写真参照)になっており よりこれが 隠れキリシタンの為の地蔵尊ではないかと 印象付けられます。
日本最長の宿場町である奈良井宿のちゅうど真ん中あたりに、大宝寺の入り口の門があります。進んだ先にある大宝寺は、その境内にある「マリア地蔵」が有名なお寺です。 小さな子供を抱いたマリア像には、頭が欠けてありません。隠れキリシタンたちの悲しい歴史が刻まれている地蔵様なんですね。
南北におよそ1kmも続くという、日本最長の宿場町である奈良井宿。そのほぼ中央に、大宝寺がありました。 大宝寺は、400年前に建立されたという歴史あるお寺です。旧中山道にある門には、右に「大宝寺」、左に「マリア地蔵庭園」と書かれています。このお寺には、キリシタン禁制の江戸時代に、破壊されてわずかに胸の十字架だけが残っているという、有名なマリア地蔵尊があるんです。
本当にこんなところに隠れキリシタンがいたのでしょうか??首の無い、子供を胸に抱いた石像が地中から出て来たそうで、その子が手に十字架の様なものを持っている。いつ頃のものかはよく分かりませんが、この石像が有名らしい。寺はこじんまりしたたたずまいです。
奈良井宿の中程にあるお寺。臨済宗妙心寺派の禅寺で、奈良井の領主であった奈良井義高公が1582年創建した菩提寺。奥には心の字の池が作られた禅の境地を表現した庭園がある。隣の墓地の奥にマリア地蔵尊。隠れキリシタンが子育地蔵尊に擬えて、胸には十字架があり、キリストを抱いたマリア像。キリシタン禁制の時代、発覚したのであろう、頭部が無く、子供の顔も破壊されている。奈良井宿の入口近くの高札場にはキリシタン禁制...
子供の持つ蓮華の先が十字状になっていることが 隠れキリシタンの為の地蔵尊ではないかと印象を持たされます
《マリア地蔵》があるとのことで訪問しました。 《マリア地蔵》と呼ばれるものとして[埼玉県幸手市]にもありますが こちらの《マリア地蔵》は 子供の持つ蓮華の先が十字状(添付 写真参照)になっており よりこれが 隠れキリシタンの為の地蔵尊ではないかと 印象付けられます。
境内にマリア地蔵
日本最長の宿場町である奈良井宿のちゅうど真ん中あたりに、大宝寺の入り口の門があります。進んだ先にある大宝寺は、その境内にある「マリア地蔵」が有名なお寺です。 小さな子供を抱いたマリア像には、頭が欠けてありません。隠れキリシタンたちの悲しい歴史が刻まれている地蔵様なんですね。
旧中山道にある門には、右に「大宝寺」左に「マリア地蔵庭園」とありました
南北におよそ1kmも続くという、日本最長の宿場町である奈良井宿。そのほぼ中央に、大宝寺がありました。 大宝寺は、400年前に建立されたという歴史あるお寺です。旧中山道にある門には、右に「大宝寺」、左に「マリア地蔵庭園」と書かれています。このお寺には、キリシタン禁制の江戸時代に、破壊されてわずかに胸の十字架だけが残っているという、有名なマリア地蔵尊があるんです。
石像は一見の価値あり
本当にこんなところに隠れキリシタンがいたのでしょうか??首の無い、子供を胸に抱いた石像が地中から出て来たそうで、その子が手に十字架の様なものを持っている。いつ頃のものかはよく分かりませんが、この石像が有名らしい。寺はこじんまりしたたたずまいです。
悲しみのマリア地蔵
奈良井宿の中程にあるお寺。臨済宗妙心寺派の禅寺で、奈良井の領主であった奈良井義高公が1582年創建した菩提寺。奥には心の字の池が作られた禅の境地を表現した庭園がある。隣の墓地の奥にマリア地蔵尊。隠れキリシタンが子育地蔵尊に擬えて、胸には十字架があり、キリストを抱いたマリア像。キリシタン禁制の時代、発覚したのであろう、頭部が無く、子供の顔も破壊されている。奈良井宿の入口近くの高札場にはキリシタン禁制...