小豆島についてから記念館があることを知りました。土庄の迷路のまちのはずれにあります。尾崎放哉終焉の地ということで、感慨深かったです。 今の記念館は、台風で元の建屋が全壊したあと、忠実に復原した建屋ということで、当時のものではないのですが、この建屋で放哉が暮らして、俳句に没頭していたという思いを馳せることができると思います。 展示物が放哉自身のもの以上に、放哉関連のものがおおくて、そのあ...
家の中には入りませんでしたが、庭に俳句と説明がありました。庭は手入れがされており、見学ができるようになっています。小豆島から東大に行かれたようですので、地元では有名な、優秀人材であったのかなと思いました。
大正時代の俳人で、東大法学部卒で保険会社に勤務したという超エリートです。なのに放浪生活に入ったという変わり種です。その後8か月で自由律俳句200句以上を作りました。彼が晩年を過ごした家で、雰囲気のいい日本建築です。必見の建築物です。
写真古くてすいません。 4月の放哉没後のお祭りには参加したことがありませんが、吉村昭さんの小説に 「海も暮れきる」という尾崎放哉の小説があります。それ以前にも他の方の口コミにもありますがもう少し評価されてもいいという事です。小高い道狭いお墓にもお参りしてきました。放哉記念館は南郷庵といって最後を迎えた地でもあります。 感動し涙があふれてきました。
知る人ぞ知る自由律俳句の人・尾崎放哉は、晩年の8か月をこの場所(南郷庵)で過ごしたそうです。海が好きで、終焉の地となった小豆島を気に入っていたとのこと。当時は住民の人に煙たがられたこともあったようですが、今、土庄の町には放哉の句の書かれた行灯があちこちの店に掲げられていて、町の人々から大切にされていることがわかります。放哉さんは記念館の前の墓地に眠っています(上の方にありますが、道順が書かれている...
尾崎放哉終焉の地
小豆島についてから記念館があることを知りました。土庄の迷路のまちのはずれにあります。尾崎放哉終焉の地ということで、感慨深かったです。 今の記念館は、台風で元の建屋が全壊したあと、忠実に復原した建屋ということで、当時のものではないのですが、この建屋で放哉が暮らして、俳句に没頭していたという思いを馳せることができると思います。 展示物が放哉自身のもの以上に、放哉関連のものがおおくて、そのあ...
迷路のまちの中にあります。
家の中には入りませんでしたが、庭に俳句と説明がありました。庭は手入れがされており、見学ができるようになっています。小豆島から東大に行かれたようですので、地元では有名な、優秀人材であったのかなと思いました。
経歴がすごいです
大正時代の俳人で、東大法学部卒で保険会社に勤務したという超エリートです。なのに放浪生活に入ったという変わり種です。その後8か月で自由律俳句200句以上を作りました。彼が晩年を過ごした家で、雰囲気のいい日本建築です。必見の建築物です。
唯ひたすら「放哉」を愛する。
写真古くてすいません。 4月の放哉没後のお祭りには参加したことがありませんが、吉村昭さんの小説に 「海も暮れきる」という尾崎放哉の小説があります。それ以前にも他の方の口コミにもありますがもう少し評価されてもいいという事です。小高い道狭いお墓にもお参りしてきました。放哉記念館は南郷庵といって最後を迎えた地でもあります。 感動し涙があふれてきました。
もっと評価されていい放哉さん
知る人ぞ知る自由律俳句の人・尾崎放哉は、晩年の8か月をこの場所(南郷庵)で過ごしたそうです。海が好きで、終焉の地となった小豆島を気に入っていたとのこと。当時は住民の人に煙たがられたこともあったようですが、今、土庄の町には放哉の句の書かれた行灯があちこちの店に掲げられていて、町の人々から大切にされていることがわかります。放哉さんは記念館の前の墓地に眠っています(上の方にありますが、道順が書かれている...