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【星野村】
(福岡県八女市 旧国名:筑後)
<山嶺の内に秘められた歴史と営みの記憶 その結晶は神秘的な伝説と共に顕現します>
上古の史書や物語に記された九州すなわち“筑紫”(つくし)の、文化あるいは景観の系譜は、筑後国(ちくご 現在の福岡県南部)に最も色濃く受け継がれたと考えられます。その一つの根拠に、かつての統治機関である筑紫国造が後の筑後国域に設けられたことが挙げられますが、日本史の教科書において、筑後国造と実質的にイコールで結ばれるのが“磐井”(いわい ?~528)です。古代日本における最大規模の内戦、“磐井の乱”の首謀者である彼は、現在の八女市(やめ)近在を本拠地にしたと推定され、その陵墓である岩戸山古墳も市内に現存。日本はおろか東アジア世界において一定の存在感を誇った磐井と彼の領国は、その機構が滅んだ後も変わらぬ地理条件によって、特有の文化を地域に根づかせました。
蒼然とした美しい山並みの連なる八女市において、ひときわ芳しい文化の香りを漂わせるのが“星野村”の地域です。八女の中心市街地“福島”から20㎞ほど東へ位置する星野村は、かつて単一の自治体でしたが、近年の合併により八女市へ編入。今日では周辺地域と共に“奥八女”の一部を担い、全国的にも名高い“八女茶”の一大生産地です。そもそも八女茶は、室町時代に栽培が始まったという茶で、いわゆる“玉露”のブランドとして知られます。寒暖差が激しい山あいの気候、霧の発生する谷あいの気象条件によって、旨みのぐっと閉じ込められた茶葉は、その深い味わいが大いに好まれ、近代以降の本格的な栽培によって筑後地方を代表する特産品に成長しました。八女市星野村では、こうした八女茶の魅力を知り、触れ合える“茶の文化館”(写真2~4枚目)が設立され、館内では“しずく茶”の体験も可能。温度の異なるお湯で3回お茶を味わった後に、酢醤油で茶葉自体を食する独特の方法は、星野村において考案されたと伝わります。茶を極限にまで味わうしずく茶の存在自体が、八女のただならぬ文化を体現しているよう。村内には他にも茶の魅力を表現する店舗が多く、伝統的な技法と産品に、清新なアイディアが加わる様を見て取ることができます。(パティスリー“Kashi Kichi 星の村”など。 写真5~8枚目)
一方、平野部とは一線を画す“山の領域”の陰影の濃さは、侵しがたい秘匿性を湛えます。その象徴的な存在となるのが“古陶星野焼展示館”(写真1、9〜10枚目)。星野焼とは、かつて久留米藩(くるめ)の御用窯として継承された陶窯で、茶の栽培が盛んな八女の風土を映し、主に茶道具を製陶していました。しかし、明治時代に入って廃藩置県が断行されると、後ろ盾を喪って急速に衰退。ついに廃絶の憂き目を見ます。ところが廃絶から80年ほどを経た1968年、鳥取県出身の陶芸家山本源太さん(1942〜)が、修行先の小石原(こいしわら )で偶然目にした星野焼、そして星野村の美しい自然環境に惹かれて移り住み開窯。さらに、村民の力を借りて地道な土質の調査、遺構や史料の探査を敢行し、幾度もの実験を繰り返した結果、ついに星野焼の再興を成し遂げます。その偉業は大いに注目を集め、新たな作家も続々と開窯。これら古今の星野焼の魅力を紹介するギャラリーが、古陶星野焼展示館です。
その見どころは、陶器を“魅せる”ための工夫が盛り込まれた空間デザイン。“星”型の構造に窯の煙突を模した塔が立つ外観に奇異な印象を抱きながら館内へ入ると、従前の山村の風景とは一転、さながら“神殿”のような荘厳な空間が広がります。中央には清冽は水が湛えられ、硬質な石のオブジェが緊張感をいっそう引き立てます。そして周囲の回廊と壁面には数々の星野焼が収められ、物言わぬ姿でありながらその存在感が深く心へ訴えかけてくるというもの。ゆっくりと一巡してその美しさに打たれ休んでいると、不意に眼前の水面にはらはらと注ぐものが。それが幽かな粉雪だと気づき天井を見上げると、塔は天空へ吹き抜けとなっており、自然の事象が直接的に通貫する仕組みとなっています。そのあまりに幻想的な明暗の移ろいを目の当たりにして想うのは、星野焼に伝わる釉薬、“夕日釉”。茶を入れると金色に輝き、手の内で夕日のように色づくと伝わります。その数奇な伝説と歴史を顧みるに、復興の奇跡はさながら天の啓示だったようにも思われ、神秘性にいっそうの魅力を感じずにはいられませんでした。
アクセス:八女ICから車で50分ほど(古陶星野焼展示館まで)
ひとり旅おすすめ度:★★★★★(心ゆくまで観光できる。ほぼ貸切!)
探訪日:12月第3週平日16時ごろ
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#福岡観光
【石川県立図書館】(石川県金沢市 旧国名:加賀)
<“遊環構造”に象られた文化のプラットフォーム 大胆なデザイン、清新なコンセプトが“知の探究”へと誘います>
国内有数の文化都市として、日本史の諸相に重要な示唆をもたらしてきた金沢。とりわけ工芸や建築の分野には特筆すべき事績が多く、親子二代に渡って日本の建築界を牽引した谷口吉郎(たにぐち よしろう 1904〜1979)、吉生(よしお 1937〜)さん親子の存在などに象徴されます。さらに、北陸新幹線の延伸決定を契機として、観光資源への注目度が高まると、“金沢駅 鼓門”に代表されるような名建築が続々と誕生します。藩政時代から連綿と受け継がれてきた工芸技術が多分に盛り込まれたこれらの建築は、文字通り“金沢の新時代”の顔となり、都市景観を象る役割を担いました。
これら新建築の中でも、近年大いに注目を集めているのが“石川県立図書館”です。もともとは1912年に兼六園の中へ建てられた図書館でしたが、拡張と移転のすえ市内本多町に立地した旧館の閉館に伴い、郊外の小立野(こだつの)で新館の建設が計画されます。その構想の中核には、新図書館を“課題解決型”の図書館とすることが据えられました。これは、従来の図書館が持っていた本の貸借機能に留まらず、利用者が“知の探究”を行うフィールドとなることを目指すもの。地域コミュニティや伝統文化とも融合した“文化のプラットフォーム”そのものでした。
この構想に応えたのが、建築家の仙田満(せんだ みつる 1942〜)さん。地域の生活に根ざした建築を基に、“環境デザイン”を手掛ける第一人者として知られます。その建築理論を象徴するキーワードが“遊環構造”。これは、仙田さんが公園の遊具やそこでの子どもの営みをヒントに提唱した理論で、人にとって“楽しさ”“心地よさ”を伴う空間を“回遊性”と結びつけたもの。つまり円環状の空間とそこに発生する営みは、安心とワクワクをもたらし、同時に“知の探究”を誘発するのです。
実際に現地を訪れてみて最初に目の当たりにするのが“ブックリウム”。膨大な数の所蔵図書にそれぞれの内容から相関関係を見出し、さらに銀河の運行になぞらえプラネタリウムのように表現したアートです。その美しさと清新さに驚かされるのはもちろんのこと、機器を操作すると、自身の興味に応じて銀河系を自由に行き交うことができる“提案型”の図書検索サービスの役割も担います。知の探究のスケールを視覚、聴覚へ直接訴えかけることで、子どもはもちろんのこと、大人までも高揚感を覚えずにはいられません。
受付を通り、“グレートホール”に立ってみれば、その規模感に圧倒されます。3階建ての書架が四囲に巡らされ、それらを縦横に空中回廊が結びつける様は、さきほどのブックリウムがもたらすスケールを立体化させたに等しく、近未来へ迷い込んだかのような錯覚さえ感じるもの。仙田さんの提唱する“遊環構造”が顕現していることに疑いはありませんが、階の傾斜や書架のデザインの統一感からして、本そのものが一つの生命を有し、彼らが集い論じ合う“議場”のような上質感も湛えます。その中にあって方位を示す旗が“加賀五彩”の色合いで敢然と掲げられ、探究をするうえでの指標となっています。感動の冷めやらぬまま旗の下に立ち、書架を具に観察すると、“子どもを育てる”“文学にふれる”“自分を表現する”“生き方に学ぶ”など目的や心理ごとに区分された12のテーマが設けられており、一般的な科学の枠に捉われない選書を可能としています。とりわけ最終テーマである“里の恵み・文化の香り~石川コレクション~”は、これまでに体感した石川県の豊穣な風土と文化を凝集したとも思われ、旅行者にとっても大変興味深いもの。風土という切り口で選書することで、あらゆる科学を横断的に捉え、土地の本質と魅力を提示しているようです。ふと我に返って周りの書架を見れば、老若男女を問わず多くの人が本を読み、内容を談じ、それぞれの探求へ没入している様がよく見て取れます。そして“知の探究”が決して終わりのない、かけがえのない魅力をもつ営みであることを改めて思い知らされました。
アクセス:金沢駅からバスで30分ほど
ひとり旅おすすめ度:★★★(人はそれなりにいるが、広い場所なので気にならない)
探訪日:10月第2週土曜日14時ごろ
※この投稿の写真の一部は友人から借用しました。
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【九谷焼をめぐる名建築】(石川県小松市 旧国名:加賀)
<加賀国“石の文化”がたどり着いた美の極点 謎多き歴史を纏いながら人々の心へ強く訴えかけます>
加賀国(かが 現在の石川県南部)の高度な文化、芸術の代表格である“九谷焼”(くたにやき)は、“五彩”と通称される絢爛な色づかいが特徴の磁器です。その始まりは江戸時代の前期、加賀藩の支藩である大聖寺(だいしょうじ)藩の領内において、地元の陶石と肥前国(ひぜん 現在の佐賀県と長崎県の大部分)有田に培われた技術を掛け合わせて焼成されたものですが、この“古九谷”はわずか50年ばかりで全ての窯が閉じられ、多くの謎を残したまま姿を消します。それから100年ほど経た19世紀の初頭、現在の小松市域で新たに陶石が発見されたことを契機として、主に加賀国南部でつくられた“再興九谷”は加賀藩の主要産業に成長。明治以降もその系譜は受け継がれ、伝統技法と時代の潮流、さらには海外の製陶法などを取り入れながら、作家たちの創意みなぎる作品が生み出されています。
① 九谷セラミックラボラトリー(写真1〜10枚目)
九谷焼の実質と魅力を知るうえで必見の施設が“九谷セラミックラボラトリー”。九谷焼の工房とギャラリー、体験施設の機能を兼ね備えたもので、鋭角が巧みに組み合わさった構造の建築が目を引きます。設計を担当したのは、いまや世界的な建築家として認知される隈研吾(くま けんご 1954〜)さん。地元で産出する“花坂陶石”から磁器土を練り上げる工房が建っていた土地に、従前の機能を引き継ぎながら先進的なデザイン空間を創出しました。
館内に入ってまず目を引くのが、巨大なガラスに囲われた工房。複雑に入り組んだコンベアーのように見える機器の前には、陶石の材質や砕石の工程が丁寧に解説されています。それぞれの工程に実物も合わせて陳列され、完成品の美しさに注目しがちな磁器が、いかに多くの手間をかけて完成するか、そして紛れもなく“地産”の芸術であるかを実感できます。背後のギャラリースペースでは、季節に合わせたコンセプトで多彩な作品が展示され、気に入ったものはその場で購入も可能。多面的な採光と柔らかい土壁のおかげもあって、肩ひじを張らずに作品を鑑賞でき、それぞれの作家の個性や遊び心にまで目が行き届くのも嬉しいポイントです。
アクセス:小松ICから車で15分ほど
② 嘸旦(撮影は可能ですが、WebやSNSへのUPが禁止のため写真はありません)
小松市高堂町にある九谷焼の窯元錦山窯(きんざんよう)は、1906年の開創以来、独自の金彩技法と幾何学的な紋様を得意として、九谷焼の傑作を世に多く届けてきた窯元です。そんな歴史ある窯元が、九谷焼の魅力や価値を伝えるギャラリーとして新設したのが嘸旦(むたん)。言葉の意味は“音のない始まり”“無我の創造”と定義され、それだけでただごとではない風格を纏います。
嘸旦の見学は完全事前予約制。Webページでの申し込みの後にメールでのやり取りを経て、当日錦山窯に赴くと、窯主さん自らが工房へ招き入れ、製陶の現場を手ずから案内してくださいます。普段、器の作家さんとお話しする機会などなかなか得られるものではなく、まして器や道具が作り手の厚い手肌に馴染んで軽やかに動く様を実見するのは、一生に一度かもしれません。そんな緊張感を携えながら向かった嘸旦は、少し黄味がかった石材が緊密に組み合わさった石蔵で、それらは同じく小松市内の観音下(かながそ)から切り出されたもの。重厚な扉を開けると、ひんやりと張り詰めた空気の中に、一種の厳しさを湛えて輝く磁器が並びます。天井に伸びた採光用のガラス、中央に置かれた一基の長テーブルが示す直線性と、器の凛とした佇まいから浮かぶ言葉は“神殿”。空間全体に整う荘厳さは、これまでのどの美術館、ギャラリーからも感じたことのない特別なもので、しばらく茫然とするばかりでした。嘸旦においても、窯主さんとそのご家族が、器の魅力や九谷焼の謎に満ちた歴史、そして加賀国に受け継がれる“石の文化”の系譜について語ってくださり、大いに示唆を受けることばかり。一連の見学を終え、ゆっくりと扉が閉じられ再び“眠り”につくかのような嘸旦と九谷焼の姿を懸命に目に焼き付けて、静かで熱い感動を反芻しました。
アクセス:小松ICから車で10分ほど
ひとり旅おすすめ度:★★★★★(心ゆくまで観光できる。ほぼ貸切!)
探訪日:7月第4週平日15時ごろ
※この投稿の写真の一部は友人から借用しました。
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【TAKIGAHARA FARM】(石川県小松市 旧国名:加賀)
<“石の里”に潜在する魅力とライフスタイルの表象 多様な文化が入り交じり一期一会を創出します>
石川県小松市の山あいに開ける“滝ヶ原”(たきがはら)は、古来“石の里”として知られてきた集落です。この地域では遥か弥生時代の昔から、“碧玉”をはじめとする宝石や鉱石を産出し、それらを切開、研磨する技術も発展してきました。江戸時代に入ると、“滝ヶ原石”は加賀藩(かが 現在の石川県南部)藩庁である金沢城の石垣に用いられたほか、北前船を通じた交易品として珍重され、藩の主要産業としても成長します。時代の変遷によって往時の賑わいこそ失われたものの、今日でも滝ヶ原では石材の切り出しが行われ、その様子は地元ボランティアの方の案内による見学ツアーなどで目の当たりにできます。
この静謐な山里において、“異色”とも思われる存在感を放っているのが“TAKIGAHARA FARM”です。滝ヶ原の集落で人知れず佇んでいた数軒の古民家や蔵をリノベーションし、宿泊施設やカフェとして営業しているもので、運営しているのは東京都内でファーマーズマーケットを主催するNPO法人。“都市”と“農”の結節を目指して立ち上がったプロジェクトで、ファームの敷地内では運営メンバー自らが畑を開墾し、多くの作物を育てながら生活しています。メンバーのバックグラウンドは多様で、年齢や国籍もさまざま。それでも、この北陸の小さな土地へ、何かしらの可能性を見出して集ったことに変わりはなく、確かに育まれていく関係性そのものがTAKIGAHARA FARMの目指す在り方を象徴しているようにも感じます。
薄く柔らかい霧のかかる秋の一日、宿泊のためにファームを訪れると、案内していただいたのは田園を前に不釣り合いなほど、がっしりとした風格を持つ石造の建物。この“TAKIGAHARA HOUSE”は築およそ80年の石蔵で、“滝ヶ原石”を堅牢に積み合わせたゲストルームです。もともと蔵として使われていたことでわかる通り、まるで魔法でしか開かないのではないかと感じられる重厚な扉が実に印象的。しかしその内部は、硬質な外観とは打って変わって、木材を基調とする温もりたっぷりの空間デザイン。木目まで艶やかに磨かれた器や調度品からは、加賀の伝統的な漆芸技法を窺い知ることができ、ほっとする安心感の中に高度な文化水準が保たれています。
この日はちょうど、スタッフや地域住民の方が集う“コミュニティディナー”の開催日にあたっており、主屋の“TAKIGAHARA CRAFT&STAY”でパーティに参加させてもらうことに。料理自慢のスタッフが、自らの手で育て収穫した野菜や卵を彩り豊かにアレンジしていく様は、眺めているだけでもワクワクが湧きおこり、ましてクラフトビールを片手に楽しめるとあれば一層そそられるというもの。旅先の“一期一会”が纏う特有の緊張感と高揚感が印象深い時間となりました。
そして極めつけは事前予約制のバーラウンジ“MOSS BAR”。こちらも石の蔵をリノベーションした建築で、シャープなデザインの壁面を背にナチュラルワインが並びます。スタッフの方に促されるままじっくりと味わうと、先ほどまでと打って変わって、幽かに聞こえる雨滴の音と共に、深く冷ややかに心に響くよう。就寝前に身体と気持ちを落ち着けるのにぴったりの空間で、宿泊の際には余裕を持って予約されることを強くおすすめします。この一連の目まぐるしく貴重な体験が、滝ヶ原に培われた“石の文化”の系譜に貫かれていることを意識したとき、その深淵な魅力に強く心を惹かれました。
アクセス:片山津ICから車で30分ほど
ひとり旅おすすめ度:★★(人は多めだが、一人でいても浮くことはない)
探訪日:10月第2週日曜日22時ごろ
※この投稿の写真の一部は友人から借用しました。
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【農口尚彦研究所】(石川県小松市 旧国名:加賀)
<“酒造りの神様”が醸す極上の日本酒と空間 加賀の文化を織り合わせた“酒事”は必見です>
霊峰白山(はくさん)を中心とする山脈と、日本海の荒波との間に広がる加賀国(かが 現在の石川県南部)。海側から吹き付ける風は山脈を取り巻いて雨雪を降らせ、土や草木に浸潤した水は峰々を伝い、やがて広く山麓から平野部へ流れ下ります。この豊かな水系は多くの作物や産業を育み、後に首府金沢を中心として“加賀料理”が発展する素地になりました。そして、この上質な食文化と連動するように繁栄したのが“酒造り”です。寒冷な気候と肥沃な土壌、さらに消費地である都市の高水準な文化が巧みに連環し、醸された酒は多くの銘酒となって流通。石川県は、今や日本有数の酒どころとして知られるようになりました。
石川県の、ひいては日本における酒造りの文化を知るうえで極めて重要な示唆をもたらしてくれるスポットが“農口尚彦研究所”。日本酒文化に対する多大な功績から、“酒造りの神様”とも称される伝説的な杜氏、農口尚彦(のぐち なおひこ 1932~)さんが指揮する蔵元で、日本酒の製法や歴史を臨場感たっぷりに紹介してくれる資料館、ギャラリーとしての役割も担います。農口さんは、現在の石川県能登町(のと)の杜氏の子に生まれ、若くして酒造りの修行を始めると、若干28歳にして“菊姫”(石川県白山市)の杜氏に抜擢。その飽くなき探究心により、醸造の各工程において緻密な実験と検証を重ねたことで、菊姫の品質は向上。JALファーストクラスの提供品として採用されるなど、高い評価を受けました。また農口さんは“山廃仕込み”(日本酒造りの工程のうち、“山”卸を“廃”した醸造法。麹の酵素が自然作用によって酒米を溶かし、深い旨みの乗った味わいとなる)の第一人者で、時代の変遷によって失われつつあったその技術を現代に蘇らせたことでも知られています。これらの業績から“現代の名工”として顕彰されるなど、名実ともに現代日本を代表する杜氏です。
研究所が立地するのは、小松市の観音下町(かながそまち)。針葉樹林と田園が広がる山里で、水の化身である観音菩薩を祀ることが地名の由来なのだとか。白山水系の伏流水が湧出し、清冽な空気に満ちた土地は、“研究所”の名にふさわしい静穏な環境が整っているもの。事前予約を行うことで施設の内部を見学でき、実際に農口さんの謦咳に接する担当者の方が、工場や資料館を案内してくださいます。
そして、研究所の見どころとして欠かせないのが“杜庵”(とうあん)。いわゆる日本酒のテイスティングルームですが、そのデザインは、加賀国、特に小松に古くから伝わる茶道を強く意識したもの。バーカウンターは四畳半に区画され、漆喰の壁や市内滝ヶ原の石材など、モノトーンの内装でシックに整えられた諧調は、凛とした空気を湛えています。ただし奥の一面のみは全面ガラス張りとなっており、まるで額装が施されたかのような風景が切り取られる格好に。寂しさと気品を備える細密な針葉樹林と風にそよぐ稲、それらを蒼然と染め上げる霧は幻想的な趣で、まるでこの世界には自分一人と目の前の杯しか存在しないとさえ錯覚するような、特殊な感覚に襲われました。テイスティングでは、研究所で醸される日本酒と北陸が誇る自慢の肴とのペアリングが楽しめます。味わいを慎重に、慎重に堪能すれば、先に学んだ製法や歴史の知識も相まって、よりおいしく、深く理解ができるというもの。この極めて上質な空間デザインと精神性は、茶道をはじめとする日本古来の“芸事”にも通じ、“お酒をいただく”という行為の価値の本質を突きつける、鮮烈な印象の体験となりました。
アクセス:小松ICから車で25分ほど
※施設見学とテイスティングは事前予約が必要です。
ひとり旅おすすめ度:★★★★(人はいるけど少なめ。静かに観光できる!)
探訪日:7月第2週平日13時ごろ
※この投稿の写真の一部は友人から借用しました。
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【大川 家具の聖地】
(福岡県大川市 旧国名:筑後)
<筑後川の恵みを活かしたインテリア・シティ 確かな技術が唯一無二のブランドを築き上げます>
九州最大の大河である筑後川(ちくごがわ)は、阿蘇山中を淵源として、筑紫(つくし)平野に大きく弧を描きながら西流し、やがて福岡県南部で有明海に注ぎ入ります。その巨大な規模と、思うままに流域へ恩恵と災害をもたらす様から、全国有数の暴れ川として知られ、“筑紫二郎”の異名をとります。一方、豊かな水流は稲作発展の土壌をつくり、流域の産業や経済を活性化。北部九州の個性を象る幅広い要素の根拠となりました。
大川市は、筑後川の河口部に位置し、川を挟んで佐賀県との県境を構成します。最大限にまで膨れ上がった川幅の中にはいくつかの洲島ができあがり、緩やかな水流と潮の干満の条件を掛け合わせた、格好の河川港として発展。有明海を行き交う漁船や、筑後川流域の作物を運搬する船舶が集積します。とりわけ、現在の大分県日田市(ひた)などで切り出された多量の木材は、筏に組み上げられて大川へ流れ着き、当地に住む船大工によって加工されました。大川には、その地理的条件から古くから船大工が集住していましたが、室町時代に榎津久米之助(えのきづ くめのすけ 16世紀前半)という人物が船大工たちに指物の技術を伝えたことで、幅広い木材加工を手掛けるように。以来、大川では箪笥や仏壇といった家具を、庶民の需要に応えて生産。いつしか地域を代表する産業として広く認知され、全国一の家具生産高を誇るまでに成長しました。
いわゆる“大川家具”は、時代の要請に応じて優れた機能性、デザインの製品を生産してきた点が特筆されます。特に明治時代に発展した箪笥は、杉、桐などの木材を基調に、金や真鍮などの装飾、さらに漆塗り加工と、高い技術を誇る職人が分業して完成させることで、唯一無二の上質感を担保しました。現代にかけて木造家具の需要に陰りが見える中でも、新たに開発した“ネコ用家具”が大ヒット。伝統的な技術に拠りつつ、清新な空気を取り込んだ柔軟性により、いつまでも古びないブランドを確立したのです。
今日の大川市においても、その気風は濃厚に受け継がれています。2022年にOPENした“ARBOR”(アーバー 写真1〜5枚目)はその象徴。“つくる人をつくる森”とコンセプトとするギャラリー&ショップで、運営するのは大川をルーツとする建築設計会社“クレアプランニング”。木材を活かした空間設計のプロフェッショナルが手掛けただけに、そのデザイン性は抜群。店内へ入ってまず目につくのは、天井から吊るされた無数の木板。よく見ると、緩やかな曲線を描くよう繊細な加工がなされており、“森”の静けさと柔らかさを演出します。奥へ進むとショップスペースが登場し、スピーカーなどのインテリア、キャンプチェアなどのアウトドアグッズ、さらに知育玩具など、木材の持つ可能性の広さを目の当たりに。中央には原木や芝、苔などを巧みに共生させたモニュメントが存在感を放ち、森林に育まれ、川を渡り、人の手で生まれ変わる木の豊かな運命を示しているようです。
さらに、筑後川の畔にはコンテナを組み合わせたデザインが特徴の観光情報拠点“TERRAZZA”(テラッツァ 写真6〜7枚目)が、市街の中心部には大川家具の最大手“関家具”本社(写真8〜9枚目)などが建ち、洗練されたモデルルームで家具の魅力を発信しています。そのアイディアと積極性を目の当たりにすると、“インテリア・シティ”として常に日本人の生活に寄り添い続けた矜持が垣間見えるようです。
アクセス:大川東ICから車で1分ほど(ARBORまで)
ひとり旅おすすめ度:★★★(人はそれなりにいるが、広い場所なので気にならない)
探訪日:12月第3週土曜日14時ごろ
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