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【西田幾多郎記念哲学館】(石川県かほく市 旧国名:加賀)
<日本の “哲学”誕生を物語る博物館 悲哀と必然の歴史的命題を暗示します>
京都東山は琵琶湖疏水の一角に、“哲学の道”と呼ばれる小路があります。南禅寺、法然院といった古刹のとば口に通じ、桜並木の下、軽やかな瀬音を枕に猫たちがくつろぐその様は、“哲学”という言葉の持つ重み、渋みからは連想しにくいのどかな光景です。当初、近隣に住む文化人たちの散策路であったことから“文人の道”と称されたこの道ですが、その一人であった京都帝国大学の哲学教授、西田幾多郎(にしだ きたろう 1870~1945)を偲ぶ弟子たちが、師の足跡をこの道に辿ったことから、いつしか哲学の道と呼ばれるようになったといいます。
西田幾多郎の人生と日本における“哲学”の歴史は、まさしく不可分の関係にあります。現在の石川県かほく市に、大庄屋を務める豪農の子として生まれた幾多郎は、金沢の石川県専門学校に進学。北条時敬(ほうじょう ときゆき 1858~1929 数学教師。後に四高校長、東北大学総長などを歴任。禅への造詣が深く幾多郎の思索に大きな影響を与えた)の居宅に寄寓し、鈴木大拙(すずき だいせつ 1870~1966 『日本的霊性』などの著作で禅の精神を世界に広めた)らの学友にも恵まれ、充実した学究の日々を送ります。ところが、帝国大学令によって石川県専門学校が“第四高等学校”に改められるのに伴い定められた厳しい学則に反発。さらに大拙らが中退するなど幾多郎の周囲は騒擾し、やがて彼自身も自らその学窓を去ります。幾多郎は大拙の後を追って上京し、帝国大学哲学科選科を卒業後、帰郷して四高で教鞭を執りますが、学内の政争を原因として解雇されるなど、安穏が訪れることはありませんでした。そんな折、幾多郎が熱心に通ったのが、金沢市内卯辰山の山麓にあった“洗心庵”という草庵で、その主である雪門玄松(せつもんげんしょう1850~1915 和歌山出身の禅僧で、越中高岡の国泰寺の管長だったが突如出奔して卯辰山に庵を結んだ。後に還俗、再出家するなど破天荒な生涯を送った)の下に参禅します。西洋哲学への理解を基にしつつも禅の思想と経験を対置する、後年の“西田哲学”はこの頃から形成されはじめ、やがて京都帝国大学の教壇に立つと、『善の研究』(1911年)を発表してその思索の精華を世に問いました。
『善の研究』に代表される幾多郎の哲学は非常に難解な内容とされ、おそらく日本で最も有名な哲学書でありながら、どこか遠い次元に存在するものと感じられます。幾多郎の郷里である石川県かほく市には、“石川県西田幾多郎記念哲学館”が立地し、幾多郎の人生と思索の軌跡を丹念に追い、その言説を理解する手助けをしてくれます。また幾多郎に限らず、そもそも哲学とは何かという問題について、文字情報、視覚情報に基づく解説を試みている点も特筆され、世界で唯一“哲学”を冠するミュージアムである自負も窺えるというもの。その苦心と工夫に満ちた展示、そして安藤忠雄(1941~)さんの設計により整えられた上質な空間は、ここが“思索”の現場でもあるという自覚をもたらし、深い印象を刻みます。幾多郎の思想におけるキーワードの1つに“絶対矛盾的自己同一”という概念があります。これは主観と客観、生と死など、一見対立している二項も実は一体であるという考えで、禅の思想を濃厚に受け継ぐもの。哲学館の展示のクライマックスには“空の庭”(くうのにわ)という小さなテラスがあり、コンクリートの壁に覆われた、暗く無機質な空間でありながら、ふっと見上げると暮れ初める夏の空の移ろいが大きな存在感を以て捉えられ、“天”と“地”の間に存在する人間の在り様を逆説的に示唆しているよう。
想えば、幾多郎は名声を高らかにしたその後半生においても、相次ぐ肉親の死に苛まれ、深い苦しみと共にありました。“哲学の動機は人生の悲哀でなければならない”という名言も、哲学館の展示からその生涯を詳らかに追うにつれ、凄絶な色合いを以て迫ります。もし人生が悲しみの連続であるならば、その超克こそが思索の命題であって、その方法を一つの光明として他に提示した人こそが、哲学者なのかもしれなません。翻って、苦難に満ちた幾多郎の人生も、日本における“哲学”の誕生という歴史的命題を成すための必然だったように感じられます。そうした感慨に至ったとき、館内で掲示されていた幾多郎の言葉に、悠遠で不可思議な想いを抱かずにいられませんでした。
人間というものは時の上にあるのだ。
過去というものがあってわたしというものがあるのだ。
過去が現存しているという事が又その人の未来を構成しているのだ。
アクセス:白尾ICから車で3分ほど
ひとり旅おすすめ度:★★★★★(心ゆくまで観光できる。ほぼ貸切!)
探訪日:6月第3週平日16時ごろ
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【鈴木大拙館】(石川県金沢市 旧国名:加賀)
<世界に広く自覚をもたらした“霊性”の拠りどころ 洗練された空間で多くの思索が行き交います>
加賀国(かが 現在の石川県南部)の厳しくも清澄な風土は、そこに住まう人々の心へ自然に対する畏れと信仰を根づかせ、数多くの“自覚”を生み出してきました。藩政期に至り、首府金沢では、この自覚が高度な工芸や遊芸、文学などの発展を誘発し、その影響は今日世界に誇る観光資源にも顕現しています。一方、これらの風土と文化を土壌に芽吹いたもう一つの系譜が哲学です。加賀そして金沢の歴史の結晶ともいえるこの学問の精華は、日本人の心の動きを慎重に、丹念に掬い上げ表現することで、広く世界へ昇華していきました。
『日本的霊性』『禅の思想』などの著書において、仏教と日本文化、思想との関わりを世界に紹介した鈴木大拙(すずき だいせつ 1870~1966 本名は貞太郎)は、加賀藩医の息子として金沢市本多町に生まれました。地元の第四高等学校に入学するも時日を経ず中退し上京、東京専門学校(現在の早稲田大学)や帝国大学(現在の東京大学)選科で哲学などを学びましたが、その人生の転機となったのが鎌倉円覚寺(えんがくじ)での参禅です。大拙が円覚寺を訪れたのは、東京専門学校入学直後である1891年の夏。当時、円覚寺の住持であった今北洪川(いまきた こうぜん 1816~1892)に禅の教導を願ったためでした。大拙から見て“至誠の人”だったという洪川の言行に鮮烈な印象を受けた大拙は、その夏を円覚寺に暮らし、洪川の遷化後も、法灯を継いだ釈宗演(しゃく そうえん 1860~1919)に私淑します。
宗演はその並外れた見識と行動力が高く評価された名僧で、円覚寺には道俗を問わず多彩な顔触れが参じていました(夏目漱石など)。さらに宗演は1893年シカゴで催された「万国宗教大会」に日本代表として出席するなど活躍の幅を広げていました。大拙は1897年から宗演の推薦で渡米し、現地の出版社に勤務。宗演の訪米の際にはその通訳を務め、国際社会の場で“禅”が鋭く感得される様を目の当たりにしました。さらに、宗演の講演の聴衆であったアメリカの大学院生ベアトリス・レーン(1878~1939)と親しみ、やがて来日したレーンと結婚。こうして大拙の周囲には、彼が広く世界と繋がる条件そして“自覚”が整ったのです。
大拙が世界へ向けて説いたキーワードの一つが“霊性”でした。霊性は“感性”“情性”“意欲”“知性”という人間の基本的な心の動きのいずれにも当てはまらない、対象物の持つ価値を、より直接的に心と結びつける“精神の奥に潜在しているはたらき”とされます。霊性は全ての人間が宿している感情の源ですが、各地域の風土や文化によってその内容に差異が生まれ、そのうち日本人が本能的に宿していた内容に、外来の仏教が作用して生まれたものを“日本的霊性”と定義しました。原初的な本能と後発の思想が接触し、感情の源を形成する過程は遍く人類に共通するもので、ここにおいて大拙と彼が蘊奥を究めた“禅”は、日本を起点に世界へ影響を与える存在として認知されます。
現在、大拙生誕の地に近い本多町3丁目には、彼の業績を顕彰する“鈴木大拙館”が建ちます。大拙の人生やその思想を紹介するばかりでなく、来館者それぞれが自らの思索を深めることを目的とした施設で、設計を担当したのは金沢にルーツを持つ建築家谷口吉生(たにぐち よしお 1937~)さん。観光施設が集中するエリアとは一線を画す静寂のなか、シンプルでありながら荘厳さも湛える“思索空間”の姿と、繊細な自然現象の在り様を“水鏡の庭”が映し出し、鋭角が巧みに組み交わされた空間デザインの意匠と合わせ、来館者の心へ安らぎと厳粛さを同時にもたらします。思索空間の内部は、禅寺における住持の居室である方丈をイメージしたデザインで、畳敷きの長椅子に腰かけると、水鏡の庭と背後の樹林を眺めながら、悠遠な心の動きを通わせられるよう。同時に、若き日の大拙の、円覚寺における心事を想像し、追体験することもできます。鈴木大拙館には、大拙や“ZEN”に関心を抱いた欧米の観光客も来訪し、その強い印象を発信したことで、今日では数多くの外国人観光客が日本における旅の目的地に定めているといいます。その事実自体が、大拙の説いた“霊性”の実在を証明しているように思われました。
アクセス:金沢駅からバスで25分ほど
ひとり旅おすすめ度:★★★(人はそれなりにいるが、広い場所なので気にならない)
探訪日:7月第4週平日11時ごろ
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