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【天川の社寺】(奈良県天川村 旧国名:大和)
<歴史と風土の神秘性を際立たせる信仰の水脈 その特異性は大峯の霊威を象徴します>
吉野と熊野を結ぶ大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、修験道の開祖とされる役小角(えんのおづの 7世紀ごろ)によって拓かれた山道で、役小角の法力と大自然の霊威を慕う多くの行者たちが踏みしめ、彼らの信仰心が風土へ深く浸潤しました。なかでも、行路の途上にある大峯山寺(おおみねさんじ)は、役小角が感得した蔵王権現(ざおうごんげん)を祀り、世界遺産“紀伊山地の霊場と参詣道”を構成する信仰の中核です。古来多くの修行者たちが、寺の立地する大峰山を目指し、その玄関口にあたる天川(てんかわ)を経由しました。今日、天川にはかつての宿場町の面影を留める洞川温泉(どろがわおんせん)のほか、役小角や修験道の息吹を伝える社寺が点在しています。
① 大峯山 龍泉寺(写真1~6枚目)
洞川の温泉街から山上川を挟んだ山麓に、龍泉寺は広大な寺域を保ちます。その縁起は、役小角がこの地で修行をしていた際に、清冽な水の湧き出る様を発見し、水神である八大龍王を祀ったことに遡ります。役小角はこの地で水行を修めたとも伝わり、その験にあやかって、今なお大峰山へ登る修行者たちは必ず龍泉寺に立ち寄っては水に身体を打たせて清め、八大龍王に道中の安全を祈念するのが習わしとなっています。実際に境内を散策すると、岩壁を伝う滝から流れ出でた水が池を象り、その清澄な面には大峯山系のなだらかな山容が映り込みます。さらにその様を見つめるようにして、役小角とその従者である前鬼・後鬼の姿が。前鬼・後鬼はもともと生駒山近在の村で人々に悪さを繰り返していたところを、役小角の法力によって伏せられ、以降は忠実な従者となった夫婦の式神です。洞川は後鬼の子孫が形成した集落と伝わり、彼らは先祖の師である役小角の遺徳を仰ぎながら、修行者たちを手助けし、大峰山へ送り出してきました。それは現在の龍泉寺が担う役割と極めて近く、その意味でも洞川の風土、文化を象徴する存在と考えられます。
② 大峯本宮 天河大辨財天社(写真7~10枚目)
役小角が大峯を開山するにあたり、蔵王権現に先んじて祀られたのが天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)の縁起と伝わります。大峯の深い山谷を縫うようにして流れる天ノ川に近く、古来“水”の恵みと霊力を象徴する神社として篤い信仰を受けてきました。その証左となるように、社では水神である弁財天を祭神としています。伝承では、弘法大師空海(774~835)が唐からの帰国後に大辨財天社へ数年に渡って参じ、修行を行ったとされ、役小角由来の修験道が真言宗と結びつく一つの契機をもたらしたとも考えられる場所です。また、弁財天は芸能を司る神としても知られるため、神社には多くの能面が納められています。それらのなかには時代を象徴する傑作も含まれており、その文化的価値は極めて高いもの。現在でも芸事にまつわる参拝者も多く、パワースポットとしても注目を集めています。
朱塗りの鳥居をくぐって神域に入ると、印象深いのは斜めに切り立った石段。本殿はその独特のアプローチを経た先に、古色を帯びた樹林の中で浮揚しながら潜んでいるような趣で、空間全体の特異性を引き立たせます。本殿ではちょうど祈祷の最中で、カメラを収めその末席に加わらせてもらうことに。本殿の前に配置された拝殿にはまた急峻な階段が本殿へ向かって連なり、その中途で神職が祝詞を捧げています。姿の見えない本殿内の祭神は、この段差を巧みに活かした視覚効果によっていっそう神秘性が高まり、折から吹き抜ける爽涼とした風の効果もあいまって、心地よい緊張感を覚えるというもの。まさに神を仰ぎ、霊威の通じるという空間の在り様は、ここが神社好きの間で大いに話題を呼ぶスポットであることを証明しているようです。近隣には南北朝時代の終盤に、南朝の御所が実に40年以上に渡って置かれた“黒木御所跡”も所在するなど、天川という土地の“ただものではない”存在感をありありと実感できました。
ひとり旅おすすめ度:★★★★(人はいるけど少なめ。静かに観光できる!)
探訪日:10月第1週日曜日9時ごろ
アクセス:五條北ICから車で50分ほど(龍泉寺まで)
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【洞川温泉】(奈良県天川村 旧国名:大和)
<信仰文化に裏打ちされたノスタルジックな温泉街 山あいの暗夜に幻想的な感動をもたらします>
修験道の開祖として敬われる役小角(えんのおづの)は、7世紀頃の日本に実在したと伝わる人物です。生まれは大和国(やまと 現在の奈良県)の葛城(かつらぎ)山付近の村と伝わり、吉野から熊野に渡る大峰山系などの山嶺に分け入っては、各地で霊験を感得しました。その法力は自然の霊威や仏心にも通じ、とりわけ吉野の金峯山(きんぷせん)では蔵王権現(ざおうごんげん)を顕現させ、同地の文化的あるいは政治的地位を確立するなど、日本の信仰文化における一流を興したことに疑いはありません。
役小角の伝説を挙げれば枚挙にいとまがありませんが、その代表的なものに前鬼・後鬼の存在があります。彼らは生駒(いこま)山中に住んだ夫婦の式神と伝わり、もとは人々に悪さを働いていたところを役小角に捕われ、その法力に触れたことで改悛し、以降は忠実な弟子として従ったとされます。後に役小角から両者の故郷である吉野・大峯へ帰るよう命ぜられ、その子孫は山峯へ挑む修行者のための宿坊を営み、陰ながら師の徳行を偲んではその継承に力を尽くしたのです。
吉野の南、大峰山の西麓に位置する天川(てんかわ)は、後鬼の故郷と伝わり、大峰山への登山口を固める山上交通の要地でした。とりわけ洞川(どろがわ)の集落には、後鬼の子孫たちによって、修験者を泊める宿坊が軒を連ね古来宿場として繁栄します。近世に入り、泰平の世の習いとして巡礼が盛んになると、洞川は全国から大峰へ集う庶民たちの“講”と密接に結びつきます。講はそれぞれに定宿を取り決め、宿側は万全の準備を以て講の人々を迎え巡礼をサポートすることで、経済的、精神的な繋がりを深めていったのです。
明治時代に神仏分離令が発出されると、修験道やその霊場、そして庶民の信仰文化にも大きな影響を及ぼし、洞川の宿場も存立の危機を迎えます。ところが1970年代にボーリング調査でアルカリ性の源泉を掘り当てたことから、俄かに温泉街として脚光を浴びるように。存続していた宿はこぞって温泉を引き入れ、伝統ある佇まいの建築と修験道の文化に裏打ちされた温泉街が誕生したのです。
今日、洞川温泉はそのノスタルジックな佇まいが広く人気を集めます。とりわけ夜には、山あいの深い闇が温泉街の提灯に照らされ、何とも幻想的な雰囲気に。その提灯を細やかに見ると、現代に継承されている“講”の名が散見され、大峰の特殊な信仰が今なお魅力の底流に存在することを実感できます。なかでも元禄時代(17世紀後半)から続く老舗宿“角甚”(かどじん 写真4~6枚目)では、修験道や行者にまつわる貴重な文物を展示し、講中の人々が一斉に出立できるよう工夫された広い軒先など、建築様式にも多くの見どころを留めます。こちらは日帰り温泉での利用も可能であるため、仮に洞川温泉に宿を取っていない場合でも安心。地元の薬草の効能も掛け合わせた温泉で、古の人々を追想しながらゆっくりと身体を休めることができます。
さらに、温まった身体への嬉しいクールダウンとなるのが“洞川温泉醸造所”(写真7~9枚目)。洞川の誇る名水“ごろごろ水”で仕込んだビールを醸造しており、注ぎたてのビールをスタイリッシュな立ち飲みカウンターで味わえます。“山わらうエール”“山ねむるエール”と芳しいばかりのネーミングとまろやかな飲み口がよく合い、温泉旅の醍醐味ともいえる悦楽境に入ることができるのです。カウンターではそれぞれの宿の浴衣を纏ったお客と、神社の祭礼準備を終えた地元の方々が楽しく会話を交わし、古の洞川さながら、旅が人生にもたらす交歓の場に。その体験を胸に夜道を宿へ向かえば、ちょうど大峰の方角から吹き抜ける秋風が、この日、この場所の多量な価値を清々しく教えてくれるようでした。
ひとり旅おすすめ度:★★★★(人はいるけど少なめ。静かに観光できる!)
探訪日:10月第1週土曜日21時ごろ
アクセス:五條北ICから車で50分ほど
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