徳川家康公が東海道や中山道を改修した時の一里塚を作ったことは聞いたことが有りましたが、ここには1640年ころに播磨と但馬の国境を起点に作られました。JR生野駅から徒歩3~4分といったところです。
JR生野駅から線路の東側の道を北へ歩いて行くとあります。但馬の基点でココから北に但馬が広がっています。ちなみに南は播磨でした。
生野駅から銀の馬車道に行く途中に、「但馬基点一里塚跡」と刻まれた石碑がありました。昔は、一理ごとに塚が築かれ、木が植えられたと説明書きがありました。周りはきれいに整備されていました。
一里(4KM)毎に作られました
徳川家康公が東海道や中山道を改修した時の一里塚を作ったことは聞いたことが有りましたが、ここには1640年ころに播磨と但馬の国境を起点に作られました。JR生野駅から徒歩3~4分といったところです。
但馬基点
JR生野駅から線路の東側の道を北へ歩いて行くとあります。但馬の基点でココから北に但馬が広がっています。ちなみに南は播磨でした。
石碑が残っていました
生野駅から銀の馬車道に行く途中に、「但馬基点一里塚跡」と刻まれた石碑がありました。昔は、一理ごとに塚が築かれ、木が植えられたと説明書きがありました。周りはきれいに整備されていました。