川原寺とはなっていますが弘福寺が継承となっているとのこと。 呼び鈴を複数回鳴らしてようやく受付の方を呼ぶことが出来ました。 本堂内にこじんまりとした仏像等が複数置かれている状況、向かいにある橘寺はおススメですがこちらは無理して行かずともという印象です。
川原寺跡を挟んで橘寺の北に位置する寺。もともとの寺は飛鳥時代のものだったが、現在のものは江戸時代の再建。拝観料がいるようなので、門前からお参りさせてもらった。
川原寺は別名弘福寺。「ぐふくじ」と読むのだそう。飛鳥四大寺のひとつに数えられています。門の前に川原寺跡が広がります。本堂では重文の寺国天なども拝観することができます。
かなり前に行ったときの感想で参考にならないかもしれません。一人旅で行きましたが受付にいた年配の坊さんに一人と言ったら「一人だけ」と凄く嫌な顔をされました。そのせいか寺宝の説明も投げやりな態度で口のきき方も丁寧ではありません。本堂に四天王のうちの二体ありますが、二体しかない理由について「そんなの知りません」の一言です。歴史的に由緒あるお寺なのに期待外れでした。一部のガイドブックにここの坊さんは説明が...
天智天皇時代に建立された川原寺が室町時代に焼失、江戸時代に川原寺の法燈を継ぐものとして弘福寺名で再建されました。口コミ名は川原寺ですがMAPなど見ると同じお寺のようです(川原寺(弘福寺)と表示されます)。川原寺は写経発祥の寺、門前に写経道場の看板が有りました。今回は時間ないので門前で引き上げましたが、いつか写経をするなら日本最初のこの寺で始めてみたいものです。
正確には弘福寺となるのでしょうね
川原寺とはなっていますが弘福寺が継承となっているとのこと。 呼び鈴を複数回鳴らしてようやく受付の方を呼ぶことが出来ました。 本堂内にこじんまりとした仏像等が複数置かれている状況、向かいにある橘寺はおススメですがこちらは無理して行かずともという印象です。
旧川原寺の後継寺院
川原寺跡を挟んで橘寺の北に位置する寺。もともとの寺は飛鳥時代のものだったが、現在のものは江戸時代の再建。拝観料がいるようなので、門前からお参りさせてもらった。
別名弘福寺
川原寺は別名弘福寺。「ぐふくじ」と読むのだそう。飛鳥四大寺のひとつに数えられています。門の前に川原寺跡が広がります。本堂では重文の寺国天なども拝観することができます。
最低寺院
かなり前に行ったときの感想で参考にならないかもしれません。一人旅で行きましたが受付にいた年配の坊さんに一人と言ったら「一人だけ」と凄く嫌な顔をされました。そのせいか寺宝の説明も投げやりな態度で口のきき方も丁寧ではありません。本堂に四天王のうちの二体ありますが、二体しかない理由について「そんなの知りません」の一言です。歴史的に由緒あるお寺なのに期待外れでした。一部のガイドブックにここの坊さんは説明が...
飛鳥四大寺川原寺の法燈を継承しています。
天智天皇時代に建立された川原寺が室町時代に焼失、江戸時代に川原寺の法燈を継ぐものとして弘福寺名で再建されました。口コミ名は川原寺ですがMAPなど見ると同じお寺のようです(川原寺(弘福寺)と表示されます)。川原寺は写経発祥の寺、門前に写経道場の看板が有りました。今回は時間ないので門前で引き上げましたが、いつか写経をするなら日本最初のこの寺で始めてみたいものです。