旧東海道、江戸から京都を目指す場合、通常は常に街道の右側に富士山が見えたそうですが、吉原付近は災害でルートが変更され、左側に見えたことからこの名がつきました。広重の浮世絵にも紹介されています。今は道路沿いに松の木が残るのみで、富士山はちょっと離れないと見えません。
旧東海道
旧東海道、江戸から京都を目指す場合、通常は常に街道の右側に富士山が見えたそうですが、吉原付近は災害でルートが変更され、左側に見えたことからこの名がつきました。広重の浮世絵にも紹介されています。今は道路沿いに松の木が残るのみで、富士山はちょっと離れないと見えません。