小倉城の城内、天守閣の南側に、古びた赤レンガ造りの門があり、そのそばに大砲もおかれていました。これは、第12師団司令部の正門でした。 近くには説明板も建っていました。小倉城に内には、かつて旧陸軍の司令部があったそうです。この赤レンガの古びた門がその正門だったようです。
赤レンガでつくられた、こちらの旧第12師団司令部の正門は、小倉城の城内にありました。明治8年に、小倉に、歩兵第14連隊が設置され、その後も小倉の軍隊は増強されて、小倉場内に司令部もつくられたそうです。 この正門から入ると、『四年式十五珊榴弾砲』という大砲が残されているなど、当時、小倉は軍都のひとつだった面影が感じられました。
松本清張記念館から小倉城の堀の方へ歩いて行くと右側に門柱がたっていました。師団跡の碑は平和のまちミュージアム側にありました。広島、福岡など城跡が陸軍施設として使われていた場所が多いので、ここもそうだったのかと思いました。小倉が軍都だった時代の名残りのようです。
福岡県北九州市の小倉城内にある旧第十二師団司令部の門。 大日本帝国陸軍の師団の一つである日本軍の第十二師団は北部九州からの徴兵を中心とした軍隊で、日露戦争・シベリア出兵・日中戦争・太平洋戦争などに出兵されてます。 建物などは全くないですが、レンガ造の門柱やすぐ側には復元された野戦重砲が置かれてました。 今では城内のとても静かな場所ですが、当時は緊張で張り詰めた場所だったんでしょうね。
小倉城本丸にあった旧陸軍第12師団司令部の正門。兵士の徴兵区域は北九州で明治から昭和初期に日露戦争、日中戦争、太平洋戦争と戦った師団の門です。
小倉城内には、旧陸軍の司令部があった
小倉城の城内、天守閣の南側に、古びた赤レンガ造りの門があり、そのそばに大砲もおかれていました。これは、第12師団司令部の正門でした。 近くには説明板も建っていました。小倉城に内には、かつて旧陸軍の司令部があったそうです。この赤レンガの古びた門がその正門だったようです。
赤レンガ造りの門柱と一部の壁が残されていました
赤レンガでつくられた、こちらの旧第12師団司令部の正門は、小倉城の城内にありました。明治8年に、小倉に、歩兵第14連隊が設置され、その後も小倉の軍隊は増強されて、小倉場内に司令部もつくられたそうです。 この正門から入ると、『四年式十五珊榴弾砲』という大砲が残されているなど、当時、小倉は軍都のひとつだった面影が感じられました。
小倉城内
松本清張記念館から小倉城の堀の方へ歩いて行くと右側に門柱がたっていました。師団跡の碑は平和のまちミュージアム側にありました。広島、福岡など城跡が陸軍施設として使われていた場所が多いので、ここもそうだったのかと思いました。小倉が軍都だった時代の名残りのようです。
小倉城内にある旧跡
福岡県北九州市の小倉城内にある旧第十二師団司令部の門。 大日本帝国陸軍の師団の一つである日本軍の第十二師団は北部九州からの徴兵を中心とした軍隊で、日露戦争・シベリア出兵・日中戦争・太平洋戦争などに出兵されてます。 建物などは全くないですが、レンガ造の門柱やすぐ側には復元された野戦重砲が置かれてました。 今では城内のとても静かな場所ですが、当時は緊張で張り詰めた場所だったんでしょうね。
小倉城内の門
小倉城本丸にあった旧陸軍第12師団司令部の正門。兵士の徴兵区域は北九州で明治から昭和初期に日露戦争、日中戦争、太平洋戦争と戦った師団の門です。