ここから樺太まで電話の通信ケーブルが通じており、 先の大戦が終わるまでは東京から樺太まで電話が通じました。 国道から道を入ったところにあるのでカーナビはこちらの前にある 水産加工会社の電話番号を入れると迷わずに行けます。 慰霊碑などもあり歴史を感じさせられます。
海沿いの道にひっそりと立つ記念碑。存在を事前にわかっていないと気づかないかもしれない。同種の展示は稚内市内の記念館等にもあるが、ここに来ると、初期の海底ケーブル中継所跡地の臨場感があると思った。
その昔、日本と樺太がケーブルで繋がっていたと言う、事実を伝える史跡。 表の国道からやや入った路地のような場所にあるので、位置が分かりづらい。 有名な猿払村道エサヌカ線を北上しきって、さらに北進すると行き当たります。 小さな碑があるのみで雰囲気も寂しい感じ。 亡くなった女性たちを慰めるなら、せめて国道に案内標識を建ててあげてほしいです。
旧樺太への海底ケーブルの引き上げ地です。 太平洋戦争末期の慰霊碑があります。 専用の駐車場はないので、反対側の水産加工会社前の駐車場を一時借用させていただく形になります。
真岡郵便電信局の九人の乙女からこの場所の存在を知りました。猿払電話中継所の跡になります。猿払村の紹介を見ると"昭和39年に猿払中継所が閉鎖された後、昭和49年に設立されたのが電気通信ゆかりの地の記念碑であり"とありますが今まで存在を知りませんでした。平成18年に猿払ライオンズクラブにより「9人の乙女の霊を慰め、電気通信ゆかりの地にその功績を顕彰する」という石碑が建てられ、当時に敷設されていたケーブ...
正式名は「猿払電話中継所跡」
ここから樺太まで電話の通信ケーブルが通じており、 先の大戦が終わるまでは東京から樺太まで電話が通じました。 国道から道を入ったところにあるのでカーナビはこちらの前にある 水産加工会社の電話番号を入れると迷わずに行けます。 慰霊碑などもあり歴史を感じさせられます。
海沿いの道にひっそりと立つ、樺太との海底ケーブル中継所跡地の碑
海沿いの道にひっそりと立つ記念碑。存在を事前にわかっていないと気づかないかもしれない。同種の展示は稚内市内の記念館等にもあるが、ここに来ると、初期の海底ケーブル中継所跡地の臨場感があると思った。
事実を伝える史跡
その昔、日本と樺太がケーブルで繋がっていたと言う、事実を伝える史跡。 表の国道からやや入った路地のような場所にあるので、位置が分かりづらい。 有名な猿払村道エサヌカ線を北上しきって、さらに北進すると行き当たります。 小さな碑があるのみで雰囲気も寂しい感じ。 亡くなった女性たちを慰めるなら、せめて国道に案内標識を建ててあげてほしいです。
史跡
旧樺太への海底ケーブルの引き上げ地です。 太平洋戦争末期の慰霊碑があります。 専用の駐車場はないので、反対側の水産加工会社前の駐車場を一時借用させていただく形になります。
樺太との電気通信ゆかりの地(猿払電話中継所跡)
真岡郵便電信局の九人の乙女からこの場所の存在を知りました。猿払電話中継所の跡になります。猿払村の紹介を見ると"昭和39年に猿払中継所が閉鎖された後、昭和49年に設立されたのが電気通信ゆかりの地の記念碑であり"とありますが今まで存在を知りませんでした。平成18年に猿払ライオンズクラブにより「9人の乙女の霊を慰め、電気通信ゆかりの地にその功績を顕彰する」という石碑が建てられ、当時に敷設されていたケーブ...