廃校になった小学校の校舎を地域の交流や、観光のための施設にして、少子化で廃校になり、改めて使われている施設です。カフェも併設されています。校舎前の大イチョウが全体を金色に染め、見ごろの時期にはライトアップされるとのことでその時期にまたおとずれたいものです。
昭和12(1937)年に建築され、昭和55(1980)年に廃校となった旧小学校です。 多分日本中のあちらこちらで少子化や過疎化等のため、同様に廃校や統合により木造下見板張り時代の校舎が姿を消す時代になって久しいと思いますが、奥会津にある旧喰丸小学校は、文化人類学者と映画監督の強い発信力によって、新しく生きた文化交流の場として蘇りました! 旧校舎の一部を個人のアトリエや単なる展示室として使用して...
交流・観光拠点施設「喰丸小」(旧喰丸小学校)に寄りました。 もともとは、小学校だったところを個人の書庫として借りて、それから住むという人が現れて震災に遭遇しました。 取り壊しになるところが、震災の補助金で保存が決まりました。 柱も腐っていたので、金輪継をして再生しました。 交流館として息を吹き返しました。 拝観は無料です。 地元の野菜が無料で置いてありました。 自転車なのでトマトを一...
建物の左側にあるスペースが工事中でした。 パイロンなども立っていてどこまで近づいて良いか不明でしたが、イチョウのライトアップをしていたので、周りから撮影しました。 廃校だとおもっていた校舎に電気がついてたので気になったのですが、カフェや資料室になっているようですね。近寄って入ってみれば良かった。
南会津会津、昭和村で1937年から1980年まで、実際に小学校として使われた木造校舎が残されています。校庭には、大銀杏も立っていて、その下で遊ぶ子どもたちの姿が連想されます。
昔の雰囲気
廃校になった小学校の校舎を地域の交流や、観光のための施設にして、少子化で廃校になり、改めて使われている施設です。カフェも併設されています。校舎前の大イチョウが全体を金色に染め、見ごろの時期にはライトアップされるとのことでその時期にまたおとずれたいものです。
ノスタルジックな風景
昭和12(1937)年に建築され、昭和55(1980)年に廃校となった旧小学校です。 多分日本中のあちらこちらで少子化や過疎化等のため、同様に廃校や統合により木造下見板張り時代の校舎が姿を消す時代になって久しいと思いますが、奥会津にある旧喰丸小学校は、文化人類学者と映画監督の強い発信力によって、新しく生きた文化交流の場として蘇りました! 旧校舎の一部を個人のアトリエや単なる展示室として使用して...
雰囲気が良いです
交流・観光拠点施設「喰丸小」(旧喰丸小学校)に寄りました。 もともとは、小学校だったところを個人の書庫として借りて、それから住むという人が現れて震災に遭遇しました。 取り壊しになるところが、震災の補助金で保存が決まりました。 柱も腐っていたので、金輪継をして再生しました。 交流館として息を吹き返しました。 拝観は無料です。 地元の野菜が無料で置いてありました。 自転車なのでトマトを一...
大イチョウライトアップも工事中
建物の左側にあるスペースが工事中でした。 パイロンなども立っていてどこまで近づいて良いか不明でしたが、イチョウのライトアップをしていたので、周りから撮影しました。 廃校だとおもっていた校舎に電気がついてたので気になったのですが、カフェや資料室になっているようですね。近寄って入ってみれば良かった。
なつかしい学校
南会津会津、昭和村で1937年から1980年まで、実際に小学校として使われた木造校舎が残されています。校庭には、大銀杏も立っていて、その下で遊ぶ子どもたちの姿が連想されます。