寺町八ケ寺でこのお寺に向かうところで、少し歴史的なたたずまいをしている場所がありました。山門はさほど歴史を感じず、単調でした。でもまっすぐ本堂に向かうと立派なたたずまい。それもそのはず蜂須賀家家老の稲田家の菩提寺に。稲田家は脇町の藍でも出てきますが、洲本で由緒あるお寺であることには間違いありません。
御朱印集めのアプリで来ましたが、やってないとの事です、 入口も解り難いので注意して行ってください。 良い旅を。
江戸時代に淡路島を治めていた蜂須賀家家老の稲田家の菩提寺です。稲田家の代々の墓碑や後の事変の招魂碑等があります。こののちの事変とは「庚午事変」のことで、稲田家と阿波藩との間に発生した争議です。分藩独立を画策した稲田家が阿波藩の侵攻を受け、沢山の庶民も犠牲になったものです。後日、稲田家は北海道の静内町に流され、以降、苦難の生活を送ったとされています。
奥に広い駐車場があり、そこに車を止めると隣接して洲本城主であった稲田家累代のの墓があります。そのためか立派な山門と整えられた参道、そして威厳のある本堂が見られます。本堂前に大きく育った蘇鉄があります。
です。寺町八ケ寺の一つですが、他の七寺とは少し離れていました。山門の崎に参道があり正面が本堂となっていました。塀の手前に洲本市観光協会の案内板があり、[稲田家墓所 招魂碑]と紹介されていました。事実、この案内板の直ぐ後ろに大きな[招魂碑]が目立っていました。
立派な本堂と周辺の家
寺町八ケ寺でこのお寺に向かうところで、少し歴史的なたたずまいをしている場所がありました。山門はさほど歴史を感じず、単調でした。でもまっすぐ本堂に向かうと立派なたたずまい。それもそのはず蜂須賀家家老の稲田家の菩提寺に。稲田家は脇町の藍でも出てきますが、洲本で由緒あるお寺であることには間違いありません。
御朱印有りません
御朱印集めのアプリで来ましたが、やってないとの事です、 入口も解り難いので注意して行ってください。 良い旅を。
臨済宗寺院です
江戸時代に淡路島を治めていた蜂須賀家家老の稲田家の菩提寺です。稲田家の代々の墓碑や後の事変の招魂碑等があります。こののちの事変とは「庚午事変」のことで、稲田家と阿波藩との間に発生した争議です。分藩独立を画策した稲田家が阿波藩の侵攻を受け、沢山の庶民も犠牲になったものです。後日、稲田家は北海道の静内町に流され、以降、苦難の生活を送ったとされています。
洲本城主稲田家の菩提寺になってます
奥に広い駐車場があり、そこに車を止めると隣接して洲本城主であった稲田家累代のの墓があります。そのためか立派な山門と整えられた参道、そして威厳のある本堂が見られます。本堂前に大きく育った蘇鉄があります。
臨済宗妙心寺派の寺院
です。寺町八ケ寺の一つですが、他の七寺とは少し離れていました。山門の崎に参道があり正面が本堂となっていました。塀の手前に洲本市観光協会の案内板があり、[稲田家墓所 招魂碑]と紹介されていました。事実、この案内板の直ぐ後ろに大きな[招魂碑]が目立っていました。