防波堤ドーム前にある記念碑で稚内からサハリン州のコルサコフとの間に連絡航路が開設されたことを記念した碑です。終戦までのことですので、期間的には22年間と比較的短かったみたいですね。その割にはと言ってはなんですが、結構立派な碑でした。
稚内港北防波堤ドームの中程に立っているモニュメント。 1923年から1945年まで、稚内と樺太の大泊の間に鉄道連絡船が運航されていた。その業績を讃えて、1970年にこの碑が立てられている。碑には小さな鐘が吊るされているが、これはこの航路に就航していた宗谷丸の号鐘の模造とのこと。
そもそもが稚泊航路連絡船乗場に出来たドームだけあって、稚泊航路記念碑の設置は当然と云えそうでした。記念碑の碑文は旭川鉄道管理局長と稚内市長の連名となっており、青函航路同様に国鉄の航路だった事が良く分かりました。
【高評価したい点】 ・稚内と大泊(樺太)まで結んでいたことを後世に伝えている。当時は現在の北防波堤ドームあたりまで線路は伸び(稚内桟橋駅)、そして樺太までは連絡船で結んでいたことを教えてくれている。 ・鐘を鳴らせる。小さな子でも鳴らせる高さに設置されている。
かつて、稚内と樺太の大泊とを結んでいた航路を記念した碑で、目の前に北海道遺産として有名な北防波堤ドームがありますので、併せて巡られると良いです。かつてはこの傍まで鉄路が延びていて、樺太まで航路が繋がっていた時代のことを思うと、2019年現在で休航しているサハリン行きフェリーの復活を願わずにはいられませんでした・・。
防波堤ドーム前に
防波堤ドーム前にある記念碑で稚内からサハリン州のコルサコフとの間に連絡航路が開設されたことを記念した碑です。終戦までのことですので、期間的には22年間と比較的短かったみたいですね。その割にはと言ってはなんですが、結構立派な碑でした。
宗谷丸の号鐘が吊り下げられている
稚内港北防波堤ドームの中程に立っているモニュメント。 1923年から1945年まで、稚内と樺太の大泊の間に鉄道連絡船が運航されていた。その業績を讃えて、1970年にこの碑が立てられている。碑には小さな鐘が吊るされているが、これはこの航路に就航していた宗谷丸の号鐘の模造とのこと。
旭川鉄道管理局長と稚内市長の連名
そもそもが稚泊航路連絡船乗場に出来たドームだけあって、稚泊航路記念碑の設置は当然と云えそうでした。記念碑の碑文は旭川鉄道管理局長と稚内市長の連名となっており、青函航路同様に国鉄の航路だった事が良く分かりました。
大泊(樺太)との繋がっていた証拠となるものの1つ。
【高評価したい点】 ・稚内と大泊(樺太)まで結んでいたことを後世に伝えている。当時は現在の北防波堤ドームあたりまで線路は伸び(稚内桟橋駅)、そして樺太までは連絡船で結んでいたことを教えてくれている。 ・鐘を鳴らせる。小さな子でも鳴らせる高さに設置されている。
北防波堤ドームと一緒に訪問すると良いです
かつて、稚内と樺太の大泊とを結んでいた航路を記念した碑で、目の前に北海道遺産として有名な北防波堤ドームがありますので、併せて巡られると良いです。かつてはこの傍まで鉄路が延びていて、樺太まで航路が繋がっていた時代のことを思うと、2019年現在で休航しているサハリン行きフェリーの復活を願わずにはいられませんでした・・。