航空自衛隊の飛行機が轟音をたてて上空を飛ぶ自衛隊基地のすぐ北側にある空爆から軍用機を守るためのシェルター。入口が30m近く、高さは倉庫なみの6m弱。奥行きも25mはあろうかという巨大サイズでその大きさに圧倒された。戦争の傷跡を実感。
掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るために造られた格納庫です。太平洋戦争当時の築城海軍航空隊の施設で、現在、稲童1号掩体壕を含め数基が残っています。頑丈に造っていたのでしょう。今でもきちっとしています。 また、稲童地区は、多くの軍事施設があったことからしばしば空襲を受けました。稲童地区の随所に今も残る機銃掃射の弾痕が残っています。
航空自衛隊築城基地の北側に、太平洋戦争中に軍用機を空襲から守る飛行機の防空壕、すなわち掩体壕がありました。県道沿いに駐車場があって簡単な説明版も設置されています。壕に近づいてみると、爆撃機用ということで意外と大きな施設でした。でも、これで1機分、そしてアメリカ軍の空襲で中の飛行機が破壊されてしまったという説明を読むと、ちょっと悲しくなります。70年前に、この場所でそんなことが行われていたという記憶...
軍用機の防空壕は初めてみた
航空自衛隊の飛行機が轟音をたてて上空を飛ぶ自衛隊基地のすぐ北側にある空爆から軍用機を守るためのシェルター。入口が30m近く、高さは倉庫なみの6m弱。奥行きも25mはあろうかという巨大サイズでその大きさに圧倒された。戦争の傷跡を実感。
戦争と地域の歴史を後世に伝える貴重な史跡
掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るために造られた格納庫です。太平洋戦争当時の築城海軍航空隊の施設で、現在、稲童1号掩体壕を含め数基が残っています。頑丈に造っていたのでしょう。今でもきちっとしています。 また、稲童地区は、多くの軍事施設があったことからしばしば空襲を受けました。稲童地区の随所に今も残る機銃掃射の弾痕が残っています。
残すべく戦争の記憶
航空自衛隊築城基地の北側に、太平洋戦争中に軍用機を空襲から守る飛行機の防空壕、すなわち掩体壕がありました。県道沿いに駐車場があって簡単な説明版も設置されています。壕に近づいてみると、爆撃機用ということで意外と大きな施設でした。でも、これで1機分、そしてアメリカ軍の空襲で中の飛行機が破壊されてしまったという説明を読むと、ちょっと悲しくなります。70年前に、この場所でそんなことが行われていたという記憶...