この場所を目的として訪れたわけではありませんが、備中松山城から近いので寄ってみました。何の遺跡なのかわからずに行き、悲しい場所であることを知りました。田んぼの中に寂しげにありますが、このまま保存するのがよいと思いました。
季節が12月とういこともあろうが、ポツンと立ち、完全に葉の落ちた木はとてつもなく寂しげだ。ここで、清水宗治公の後を追って刺し違えて自決した親族、家臣たち。彼らを弔う祠があるが、小さくやはり寂しげだ。
備中高松城の見学のついでに見ることができる歴史的な遺跡です。かつての水攻めの歴史を偲ぶことができます。
清水宗治公自刃した場所から離れた田んぼの中にポツンと有るという感じです。清水宗治公の兄を始めとしてあの世へお供をした方々の遺跡ですね。同じ船の中で彼らも自刃したのだから、清水宗治公自刃の供養塔の傍に置いた方が良いような思いです。
備中高松城を見学した後に訪問。徒歩で5分ほどのところにあります。説明板によれば、高松城水攻めにより切腹した城主清水宗治を追って家臣が互いに刺し違えて殉死した場所とのこと。訪問時は冬場で葉もなく、魂の叫びのような凄まじい形の樹木があります。樹の下に祠が2つあります。思わず手をあわせました。
田んぼの中の木が目印
この場所を目的として訪れたわけではありませんが、備中松山城から近いので寄ってみました。何の遺跡なのかわからずに行き、悲しい場所であることを知りました。田んぼの中に寂しげにありますが、このまま保存するのがよいと思いました。
清水宗治公自刃の地と共に
季節が12月とういこともあろうが、ポツンと立ち、完全に葉の落ちた木はとてつもなく寂しげだ。ここで、清水宗治公の後を追って刺し違えて自決した親族、家臣たち。彼らを弔う祠があるが、小さくやはり寂しげだ。
遺跡
備中高松城の見学のついでに見ることができる歴史的な遺跡です。かつての水攻めの歴史を偲ぶことができます。
清水宗治公自刃の供養塔から離れています。
清水宗治公自刃した場所から離れた田んぼの中にポツンと有るという感じです。清水宗治公の兄を始めとしてあの世へお供をした方々の遺跡ですね。同じ船の中で彼らも自刃したのだから、清水宗治公自刃の供養塔の傍に置いた方が良いような思いです。
凄まじい形の樹木の下に祠があります。
備中高松城を見学した後に訪問。徒歩で5分ほどのところにあります。説明板によれば、高松城水攻めにより切腹した城主清水宗治を追って家臣が互いに刺し違えて殉死した場所とのこと。訪問時は冬場で葉もなく、魂の叫びのような凄まじい形の樹木があります。樹の下に祠が2つあります。思わず手をあわせました。