板倉氏の江戸幕府中期以降の業績は詳しく知りませんが、江戸初期には京都所司代として名をはせた板倉勝重公の家系に当たります。ただ、ここにきて幕末の状況を学ぶ機会が有りました。実際現場に行くと学ぶことが多いですね。
高梁市市立郷土資料館の近くです。解説によると備中松山城主板倉氏の菩提寺で幕末には朝廷との交渉の場になった場所だそうです。旧制高梁中学校発祥の地の碑も建っています。歴史の地です。
高梁市にあるお寺。最後の藩主板倉氏の菩提寺で、境内には板倉家のお墓もあります。戊辰戦争時には、新政府軍との交渉の場になった歴史的な場所でもあります。
郷土資料館のすぐ裏手にあるお寺です。山門前には「城主板倉公菩提寺」の大きな石碑が。本堂もなかなか立派な建物で、瓦も葺き替えて間もないのか、黒々としていました。
門前に二つの石碑が立っている。一つは「備中松山城主板倉公の菩提寺」。もう一つは「旧制高梁中学校発祥の地」だ。幕末、討幕の動きに反抗した高梁の家臣たちはこの寺で朝廷側の岡山藩の家臣と談判したという。道路を挟んで反対側の資料館が旧尋常高等小学校の後身だけに、このあたり一帯は高梁の教育拠点だったのだろう。
板倉氏の菩提寺です
板倉氏の江戸幕府中期以降の業績は詳しく知りませんが、江戸初期には京都所司代として名をはせた板倉勝重公の家系に当たります。ただ、ここにきて幕末の状況を学ぶ機会が有りました。実際現場に行くと学ぶことが多いですね。
備中松山城主板倉氏の菩提寺
高梁市市立郷土資料館の近くです。解説によると備中松山城主板倉氏の菩提寺で幕末には朝廷との交渉の場になった場所だそうです。旧制高梁中学校発祥の地の碑も建っています。歴史の地です。
藩主の菩提寺
高梁市にあるお寺。最後の藩主板倉氏の菩提寺で、境内には板倉家のお墓もあります。戊辰戦争時には、新政府軍との交渉の場になった歴史的な場所でもあります。
郷土資料館の裏手にあります。
郷土資料館のすぐ裏手にあるお寺です。山門前には「城主板倉公菩提寺」の大きな石碑が。本堂もなかなか立派な建物で、瓦も葺き替えて間もないのか、黒々としていました。
二つの石碑
門前に二つの石碑が立っている。一つは「備中松山城主板倉公の菩提寺」。もう一つは「旧制高梁中学校発祥の地」だ。幕末、討幕の動きに反抗した高梁の家臣たちはこの寺で朝廷側の岡山藩の家臣と談判したという。道路を挟んで反対側の資料館が旧尋常高等小学校の後身だけに、このあたり一帯は高梁の教育拠点だったのだろう。