市電「函館どつく前」駅を降りて北側に行くと職員用に駐輪場があり、その奥にあります。駅の目の公園の中に説明文があるのでここかと思うのですが、碑は別の場所でわかりにくいです。弁天台場は箱館戦争の舞台のひとつですが、あまり名残を感じる場所ではないです。
知名度は低いですが、ここも幕末を感じることのできるスポット。ちょいちょい写真を撮っている方々がいました。
旧幕府軍が五稜郭を占拠した翌年に新政府軍の箱館総攻撃により箱館港の防衛拠点として1863(文久3)年に完成した不等辺六角形の砲台が1869(明治2)年5月15日に降伏により失った。後の港湾改良工事で解体されたのですが、現在は函館どつくの敷地内に跡を示す碑が残るのみです。石材の一部は函館漁港の石積防波堤に用いられています。
トラムの終点、函館ドック前で降りて海の方へ行くとすぐでした 「弁天台場跡」と書かれた細い白い柱が立っているだけでがっかりでした
歴史由緒ある場所なのに行き方の案内や他の方の案内板は探しきることが出来ませんでした。市や行政がもう少し力を入れるべきだと思いました。 この写真の案内板はドック前電停を降りて進行方向に立ち最初の角を右に曲がり函館ドックの門の脇にひっそりとあります。
説明文とは別の場 所に
市電「函館どつく前」駅を降りて北側に行くと職員用に駐輪場があり、その奥にあります。駅の目の公園の中に説明文があるのでここかと思うのですが、碑は別の場所でわかりにくいです。弁天台場は箱館戦争の舞台のひとつですが、あまり名残を感じる場所ではないです。
幕末を感じるスポット
知名度は低いですが、ここも幕末を感じることのできるスポット。ちょいちょい写真を撮っている方々がいました。
幕末の軌跡を遡る砲台跡の石材の一部は函館漁港の石積防波堤
旧幕府軍が五稜郭を占拠した翌年に新政府軍の箱館総攻撃により箱館港の防衛拠点として1863(文久3)年に完成した不等辺六角形の砲台が1869(明治2)年5月15日に降伏により失った。後の港湾改良工事で解体されたのですが、現在は函館どつくの敷地内に跡を示す碑が残るのみです。石材の一部は函館漁港の石積防波堤に用いられています。
がっかりでした
トラムの終点、函館ドック前で降りて海の方へ行くとすぐでした 「弁天台場跡」と書かれた細い白い柱が立っているだけでがっかりでした
残念でした。
歴史由緒ある場所なのに行き方の案内や他の方の案内板は探しきることが出来ませんでした。市や行政がもう少し力を入れるべきだと思いました。 この写真の案内板はドック前電停を降りて進行方向に立ち最初の角を右に曲がり函館ドックの門の脇にひっそりとあります。