後醍醐天皇が隠岐に配流された際、滞在したと言われている場所の一つ。もう一つは西ノ島の黒木御所ですが、どちらが本当の行在所跡かは諸説あってまだ定説が定まっていないと聞きました。 こちらの行在所跡は隠岐国分寺境内にありますが、石碑が立っているだけなのでちょっと肩透かしな感じでした。
隠岐国分寺の境内に、礎石が残っています。隠岐国分寺の山門を入って正面に大きな石碑が建っていて、礎石を見ることができます。昭和12年文部省の、ここが後醍醐天皇の行在所である旨の案内板が建っています。
後醍醐天皇行在所跡は、隠岐国分寺の境内が国の史跡に指定されていますが、島前の西の島町別府にある「黒木御所跡」という説もあるそうです。本堂の裏手に旧本堂跡に礎石が数個あるのと石碑が立っているだけです。その背後の森の中に後醍醐天皇を祀る王城招魂神社があります。
元弘2年元弘の変に敗れた後醍醐天皇が、隠岐国分寺を行在所としたといわれているが、島前の西ノ島町の黒木御所も知られることから、どちらが真の行在所跡かは定かではないらしい。此処を訪れた後に、島前西ノ島町の黒木御所も訪れたが、隠岐国分寺にあるこの遺跡も十分感慨深い。
隠岐国分寺内にありますが、行在所であったことを示す石碑と、行在所であった場所を囲む柵だけで、物足りない感じは否めません。
後醍醐天皇ゆかりの地
後醍醐天皇が隠岐に配流された際、滞在したと言われている場所の一つ。もう一つは西ノ島の黒木御所ですが、どちらが本当の行在所跡かは諸説あってまだ定説が定まっていないと聞きました。 こちらの行在所跡は隠岐国分寺境内にありますが、石碑が立っているだけなのでちょっと肩透かしな感じでした。
隠岐国分寺の境内にあります
隠岐国分寺の境内に、礎石が残っています。隠岐国分寺の山門を入って正面に大きな石碑が建っていて、礎石を見ることができます。昭和12年文部省の、ここが後醍醐天皇の行在所である旨の案内板が建っています。
隠岐国分寺境内に
後醍醐天皇行在所跡は、隠岐国分寺の境内が国の史跡に指定されていますが、島前の西の島町別府にある「黒木御所跡」という説もあるそうです。本堂の裏手に旧本堂跡に礎石が数個あるのと石碑が立っているだけです。その背後の森の中に後醍醐天皇を祀る王城招魂神社があります。
伝説に誘われて此処へ。
元弘2年元弘の変に敗れた後醍醐天皇が、隠岐国分寺を行在所としたといわれているが、島前の西ノ島町の黒木御所も知られることから、どちらが真の行在所跡かは定かではないらしい。此処を訪れた後に、島前西ノ島町の黒木御所も訪れたが、隠岐国分寺にあるこの遺跡も十分感慨深い。
隠岐国分寺内
隠岐国分寺内にありますが、行在所であったことを示す石碑と、行在所であった場所を囲む柵だけで、物足りない感じは否めません。