万年寺は峨眉山で最も古い古代寺院の1つで、晋に創建され、普賢寺と呼ばれ、唐の時代に白水寺と改名され、宋の時代に白水普賢寺と改名されました。明代の神宗皇帝朱は「聖寿万年寺」と題し、万年寺と略称されました。明王朝の万里28年(1600年)に建てられた梁のないレンガのホール(P5)は、万里皇帝が母親の誕生日を祝うために建てたものです。ホールの高さ17.12メートル、上部は半円形の中空のドーム、下部はパオのような四角いベースで、空の円を象徴しています。ホールの4つの壁には、何千もの仏像が囲まれています。ホールの中央には、重さ約62トンの青銅製の白象蓮座のサタン菩薩像があります。万年寺の「行願楼」には、仏歯、貝葉経、万里の金印の3つの宝物が安置されており、主要な仏事や記念祭だけが展示されています。