1月14日はこの寺の大きな行事の鬼追い。子供たちが小さいころにはよく連れて「もちまき」を楽しみにしていたものでした。久しぶりの訪問。バイパスでワイン城から交通の便もよく、「葵徳川家」の幕が目立っていました。三木城攻めで焼かれて家光が再興を許したのでしょう。地元の人に愛され伝統を受け継いでいる大きなお面の鬼追い。価値は高いと思います。
「いにしえのままにゆったりと・・」が紹介フレーズですが、いくらいにしえのままとは言っても限度があり、これだけ荒れた本堂も珍しい。周辺の扉はガタガタで穴だらけ、風も燕も往来自由、草刈りだけは出来ているものの・・・これでは行基が刻んだご本尊、如意輪観音様もさぞかし「寒かろう」とご同情申し上げる。最盛期には堂宇寺坊73を数えたと云う面影は覗えない。開創730年の高野山真言宗寺院、以降、1284年が経過し...
鬼追い
1月14日はこの寺の大きな行事の鬼追い。子供たちが小さいころにはよく連れて「もちまき」を楽しみにしていたものでした。久しぶりの訪問。バイパスでワイン城から交通の便もよく、「葵徳川家」の幕が目立っていました。三木城攻めで焼かれて家光が再興を許したのでしょう。地元の人に愛され伝統を受け継いでいる大きなお面の鬼追い。価値は高いと思います。
寄進・入山料を募っても「修復」すべき寺院です
「いにしえのままにゆったりと・・」が紹介フレーズですが、いくらいにしえのままとは言っても限度があり、これだけ荒れた本堂も珍しい。周辺の扉はガタガタで穴だらけ、風も燕も往来自由、草刈りだけは出来ているものの・・・これでは行基が刻んだご本尊、如意輪観音様もさぞかし「寒かろう」とご同情申し上げる。最盛期には堂宇寺坊73を数えたと云う面影は覗えない。開創730年の高野山真言宗寺院、以降、1284年が経過し...