読んで事の如くです。鐘をついて時刻を知らせる。その為に2人の担当が居たとの事です。江戸時代には時計無いから民衆に知らせる必要あったのでしょう。鐘幾つで何時とかだったのでしょう。童謡にもお寺の鐘が鳴ったら帰ろうとか有りました。素朴の疑問ですが、鐘つく人はどうやって時間知るのでしょうか?
和歌山城のすぐ近くにあります。江戸時代には、この鐘が人々に時を伝えていたんですね。非常時を知らせる役目も担っていたようです。生の音を聞いてみたいです。
「岡山の時鐘堂」は、和歌山城と道一本隔てた南側のエリアにあります。設置されたのは徳川吉宗の時代という事で、古めかしい木造2階建ての鐘楼の中に梵鐘があるという事です。鐘楼の外観からは、どんな姿なのか、どんな音色なのかが分からないのが残念です。
説明書きによれば大阪城方に有った大砲を、藩主吉宗公時代に時を告げる鐘として造らせたものです。県立美術館に隣接した小山に有ります。現代では腕時計などで時間を計れますが、当時はこのようにして時間を告げていたのですね。よく言えば規律ある業務のため、悪く言えば藩士のルーズ(登城の遅刻等)さを正すために作ったのかなと思いました。
鐘楼の梵鐘は、大阪夏の陣で使われた大筒を造り直したものらしい。殺傷するためにつくられたものが、後に、城下の人々に時報や非常事態を知らせるために使われたという経緯かあるらしい。
江戸時代に時刻を知らせる為の施設
読んで事の如くです。鐘をついて時刻を知らせる。その為に2人の担当が居たとの事です。江戸時代には時計無いから民衆に知らせる必要あったのでしょう。鐘幾つで何時とかだったのでしょう。童謡にもお寺の鐘が鳴ったら帰ろうとか有りました。素朴の疑問ですが、鐘つく人はどうやって時間知るのでしょうか?
1712年に建てられました
和歌山城のすぐ近くにあります。江戸時代には、この鐘が人々に時を伝えていたんですね。非常時を知らせる役目も担っていたようです。生の音を聞いてみたいです。
歴史ある鐘楼
「岡山の時鐘堂」は、和歌山城と道一本隔てた南側のエリアにあります。設置されたのは徳川吉宗の時代という事で、古めかしい木造2階建ての鐘楼の中に梵鐘があるという事です。鐘楼の外観からは、どんな姿なのか、どんな音色なのかが分からないのが残念です。
徳川吉宗公が造られました。
説明書きによれば大阪城方に有った大砲を、藩主吉宗公時代に時を告げる鐘として造らせたものです。県立美術館に隣接した小山に有ります。現代では腕時計などで時間を計れますが、当時はこのようにして時間を告げていたのですね。よく言えば規律ある業務のため、悪く言えば藩士のルーズ(登城の遅刻等)さを正すために作ったのかなと思いました。
元は大筒
鐘楼の梵鐘は、大阪夏の陣で使われた大筒を造り直したものらしい。殺傷するためにつくられたものが、後に、城下の人々に時報や非常事態を知らせるために使われたという経緯かあるらしい。