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【五條(②天誅組と“縦軸”の衝撃)】(奈良県五條市 旧国名:大和)

<“討幕”の魁となった一大事件の舞台 長らく培われた平和な街並みと見事な対照を成します> 吉野川の流れに面し、古来大和国(やまと 現在の奈良県)の山間部と平野部、さらには紀伊国(きい 現在の和歌山県)を結ぶ交通の要衝として栄えた五條。江戸時代はじめ、松倉重政(まつくら しげまさ ?~1630)の手により“五條新町”を中核とする城下町が開発されると、その賑わいはいっそう増し、名実ともに大和国中南部の中心都市として発展しました。松倉氏は1616年に肥前国(ひぜん 現在の佐賀県と長崎県の大部分)島原へ加増移封され、五條は幕府直轄の天領となります。この背景には、吉野・大峯山系より産する木材を、紀伊国さらに大坂へ運ぶ水運および紀州街道の拠点として、幕府が五條を極めて重視した事実が窺えます。18世紀の末には新町に隣接して五條代官所が置かれ、一帯の天領7万石あまりを治めました。現在、五條新町には“五條市まちなみ伝承館”(写真2、3枚目)、“五條市新町まちや館”(写真1、4枚目)などの展示施設が建ち、往時の繁栄を偲ぶことができます。 江戸時代を通じて、御三家の一つである紀州藩と天領、そして高取藩(植村氏 居城は大和国高取城)などの小大名と隣り合った五條は、時として吉野川の氾濫に悩まされながらも平穏のうちに時日を過ごします。ところが、ペリーの来航からちょうど10年を経た1863年8月17日夜、代官所は突如として浪士数十名の襲撃に遭い、代官鈴木源内は殺害されてしまいました。これがいわゆる“天誅組の変”(てんちゅうぐみ)の嚆矢で、五條はあまりに鮮烈な衝撃と共に時代の荒波へ巻き込まれていきます。 そもそも天誅組とは、当時勅命によって公表されていた孝明天皇(こうめいてんのう 1831~1867)の大和行幸に伴い、その先陣たらんと欲した尊王攘夷派の浪士たちによって結成された集団です。彼らは侍従中山忠光(なかやま ただみつ 1845~1864 明治天皇の叔父にあたる)を主将に擁し、藤本鉄石(ふじもと てっせき 1816~1863 岡山藩脱藩)、松本圭堂(まつもと けいどう 1832~1863 刈谷藩脱藩)、吉村虎太郎(よしむら とらたろう 1837~1863 土佐藩脱藩)の3名が総裁として実質的な指揮にあたりました。3総裁はいずれも尊攘派浪士の領袖で、尊王攘夷の理論を“討幕”と結びつけていた点が特筆されます。そのため、表向きには行幸の先払いと称しながら、実際には討幕の魁として自らを任じていました。 天誅組は京から大坂へ下ると、一旦船で大坂湾へ出ますが、すぐに和泉国(いずみ 現在の大阪府南部)堺へ反転し、千早峠を越えて北西から五條へ侵入します。対する代官所は、泰平の世の倣いのままに代官以下数名の幕吏が詰めているに過ぎず、仮にも7万石を治める政庁でありながら兵力を一切持ち合わせていませんでした。天誅組もその点に目をつけており、また五條町内には乾十郎(いぬい じゅうろう 1828~1864)などの協力者がいたことから、討幕の象徴として襲撃をしたのです。天誅組は五條を占拠すると、同地を天皇の直轄地として新時代の到来を布告します。今日、代官所の跡地には、現存の長屋門を改装した“五條市民俗資料館”(写真6、7枚目)が建ち、変事を詳しく解説しているほか、天誅組が本陣を置いた桜井寺(写真8枚目)などで彼らの軒昂な意気を追想できます。しかし天誅組は、彼らの存在の前提となる大和行幸が中止となり、京都で尊王攘夷派が失脚したため、言わば梯子を外された格好で凄惨な運命を辿ることとなるのです。 想えば、古代より吉野川に沿った“横軸”の物理的条件によって繁栄した五條にとって、北方から襲来した天誅組は長年の平和的気分をも粉砕する“縦軸”の衝撃でした。また、天誅組も遥かに去った明治時代の末には、五條から和歌山県の新宮市まで縦貫する“五新鉄道”が計画されるも中止となり、わずかに敷設された線路のみを残しています(写真9、10枚目)。この事実を合わせるに、風土や土地に住まう人々の精神に深く根差した歴史の“流れ”のようなものが、何か見えざる大きな力となって、無意識のうちに働きかけたのではないかと、その不可思議さに打たれる思いでした。 ひとり旅おすすめ度:★★★★(人はいるけど少なめ。静かに観光できる!) 探訪日:10月第1週平日14時ごろ アクセス:五条駅から徒歩で15分ほど(五條市民俗資料館まで) #五條市民俗資料館 #五條新町 #五條新町通り #奈良 #奈良県 #奈良旅行 #奈良観光 #わたしは奈良派 #うましうるわし奈良 #いまふたたびの奈良へ #奈良好き #五條市 #国内旅行好き #天誅組 #幕末 #幕末志士 #幕末好き #明治維新 #吉村虎太郎 #重伝建 #古い町並み #古い街並み #名建築 #街道をゆく #五新鉄道 #廃線 #廃線跡 #歴史好き #ひとり旅 #旅のある暮らし
投稿:2024年2月17日
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