宝来町交差点から「あさり坂」をのぼります。「人生 邂逅し 開眼し 瞑目す」…亀井勝一郎の名言が刻まれています。坂と交差する通りはかつて谷地頭に行く近道だったようですが、いまでは1日数本の路線バスが通るぐらい。ロープウェー山麓駅あたりから「函館公園まで歩いていく」というテーマでもれなく見つけのもよいでしょう。でも、函館市民もほとんど亀井勝一郎は知らなさそう。「大和古寺風物誌」…数十年前はよく大学入試...
亀井勝一郎が函館の出身だとは知らなかった。青柳町には石川啄木居住地跡もある。元町には亀井勝一郎生誕の地碑がある。
石川啄木居住地跡から少し坂を下った左側です 道路沿いに石碑がぽつんと、石碑の向かいにはベンチがあるだけで他には何もありませんでした
亀井勝一郎は、1907(明治40)年函館生まれ。大和古寺風物誌などで著名な文芸評論家でした。終生函館を愛したという。函館公園通りに、文学碑が建立された。自筆による寸言が刻まれています。「人生邂逅(かいこう)し開眼(かいげん)し瞑目す」人生は多くの出会いを通じ、見えないものに気づかされ、そして終わっていくものという意味だそうです。日を見てから 谷地頭温泉へ行きました。
散策ついでに訪問しました。有名な人のようで関連するスポットがいくつかあります。手入れはされているようだが、こじんまりとしていた。
函館市民もほとんど亀井勝一郎は知らなさそう。
宝来町交差点から「あさり坂」をのぼります。「人生 邂逅し 開眼し 瞑目す」…亀井勝一郎の名言が刻まれています。坂と交差する通りはかつて谷地頭に行く近道だったようですが、いまでは1日数本の路線バスが通るぐらい。ロープウェー山麓駅あたりから「函館公園まで歩いていく」というテーマでもれなく見つけのもよいでしょう。でも、函館市民もほとんど亀井勝一郎は知らなさそう。「大和古寺風物誌」…数十年前はよく大学入試...
立派な文学碑だったが、訪れる人もいない。
亀井勝一郎が函館の出身だとは知らなかった。青柳町には石川啄木居住地跡もある。元町には亀井勝一郎生誕の地碑がある。
石碑がぽつんと
石川啄木居住地跡から少し坂を下った左側です 道路沿いに石碑がぽつんと、石碑の向かいにはベンチがあるだけで他には何もありませんでした
市電青柳町電停下車が便利です。谷地頭温泉に行く途中に寄れます。
亀井勝一郎は、1907(明治40)年函館生まれ。大和古寺風物誌などで著名な文芸評論家でした。終生函館を愛したという。函館公園通りに、文学碑が建立された。自筆による寸言が刻まれています。「人生邂逅(かいこう)し開眼(かいげん)し瞑目す」人生は多くの出会いを通じ、見えないものに気づかされ、そして終わっていくものという意味だそうです。日を見てから 谷地頭温泉へ行きました。
亀井勝一郎文学碑♪
散策ついでに訪問しました。有名な人のようで関連するスポットがいくつかあります。手入れはされているようだが、こじんまりとしていた。