日本橋の東寄りに宿泊したので周辺の散策で立ち寄りました。このあたりは寺院が多いエリアとなっておりその中では北寄りにある浄土宗の寺院です。ご本尊は阿弥陀如来ですぐ近くにはこのお寺が由来の坂もありますが、それは土地を提供したからだからみたいです。なかなか立派なお寺でした。
このお寺の名前が付いている源聖寺坂を、東側から西に向かいました。高台から下った行くと、大きな通りに出ました。その通りに面して、こちらのお寺、源聖寺がありました。 通りに面した門は立派です。境内は、大阪の中心部なので広くはありませんが、植栽も多く、ここが大都会の真ん中であることを忘れてしまいそうな空間が広がっていました。私たちが通ってきた源聖寺坂は、こちらのお寺の土地を提供してつくられたそうで...
生國魂神社の南側にはいくつものお寺が建ち並んでいて、寺町を形成していました。その寺町を東西に貫いている石畳の坂道があり、その名を「源聖寺坂」と書かれていました。その坂の名前になったのが、こちらのお寺、源聖寺です。 私たちは坂の上から下ってきました。すると、このお寺の背後にはびっしりと墓石が並んでいるのが見えました。坂を下りきると大きな通りに出ましたが、その通りに面して源聖寺の門がありました。...
1596年、遠誉荷公上人が創建した浄土宗の寺院です。後に徳川家康の大坂町並み整備によって現在地に移転したそうです。法隆寺夢殿の救世観音菩薩を模して鋳造され観音様が鎮座しています。花の観音様と呼ばれ、お姿の周りにロープを吊り下げ、そこに供養のため、布のお花を皆さんに結んでいます。大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の第45番の札所です。
松屋町筋沿い天王寺下寺町に建つ浄土宗寺院で隣から上る天王寺七坂の一つ源聖寺坂の名の由来の寺院です。慶長元年(1596)遠誉荷上人の創建で江戸時代に現地に移転、境内の観世音菩薩は花の観音様として親しまれているようです。山門は堂々として立派です。
同名の坂も
日本橋の東寄りに宿泊したので周辺の散策で立ち寄りました。このあたりは寺院が多いエリアとなっておりその中では北寄りにある浄土宗の寺院です。ご本尊は阿弥陀如来ですぐ近くにはこのお寺が由来の坂もありますが、それは土地を提供したからだからみたいです。なかなか立派なお寺でした。
源聖寺は、「げんしょうじ」と読みます
このお寺の名前が付いている源聖寺坂を、東側から西に向かいました。高台から下った行くと、大きな通りに出ました。その通りに面して、こちらのお寺、源聖寺がありました。 通りに面した門は立派です。境内は、大阪の中心部なので広くはありませんが、植栽も多く、ここが大都会の真ん中であることを忘れてしまいそうな空間が広がっていました。私たちが通ってきた源聖寺坂は、こちらのお寺の土地を提供してつくられたそうで...
「大阪新四十八願所阿弥陀巡礼」のお寺
生國魂神社の南側にはいくつものお寺が建ち並んでいて、寺町を形成していました。その寺町を東西に貫いている石畳の坂道があり、その名を「源聖寺坂」と書かれていました。その坂の名前になったのが、こちらのお寺、源聖寺です。 私たちは坂の上から下ってきました。すると、このお寺の背後にはびっしりと墓石が並んでいるのが見えました。坂を下りきると大きな通りに出ましたが、その通りに面して源聖寺の門がありました。...
源聖寺坂に隣接して
1596年、遠誉荷公上人が創建した浄土宗の寺院です。後に徳川家康の大坂町並み整備によって現在地に移転したそうです。法隆寺夢殿の救世観音菩薩を模して鋳造され観音様が鎮座しています。花の観音様と呼ばれ、お姿の周りにロープを吊り下げ、そこに供養のため、布のお花を皆さんに結んでいます。大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の第45番の札所です。
源聖寺坂名由来の寺院
松屋町筋沿い天王寺下寺町に建つ浄土宗寺院で隣から上る天王寺七坂の一つ源聖寺坂の名の由来の寺院です。慶長元年(1596)遠誉荷上人の創建で江戸時代に現地に移転、境内の観世音菩薩は花の観音様として親しまれているようです。山門は堂々として立派です。