応用科学研究棟の近くの北西の伸びる道を歩いて行ったところにあります。森の入り口といった雰囲気の場所です。都ぞ弥生とは何ぞやと思いましたが、寮の歌詞です。筆跡も作詞した作詞者のものみたいですが、あまり観光客にピンとくるものではなかったです。
北8条に恵迪寮跡の記念碑を見つけ、OBとしては違和感を覚えましたが、これは初代恵迪寮跡でした。我々にとって馴染みのあるボロボロの2代目恵迪寮跡には『都ぞ弥生』の歌碑がひっそりと建っていました。まさにつわものどもが夢の後です。飲んで笑って語り合い、たまには羽目を外して青春を謳歌していた時代が蘇って来ます。因みに都ぞ弥生は明治42年度寮歌であり、あまりにも代表的な寮歌となっており我々卒業生の集まりでも...
恵迪寮は、明治38年南北2棟の学生寮が誕生し、明治40年に恵迪寮と名付けられてから、毎年、寮歌が作られてきました。その中で明治45年に作られた「都ぞ弥生」が有名となりました。三代目となる恵迪寮へ向かう途中の道にこの歌碑があり、寮生を見守るように佇んでいます。
北大の構内には銅像や碑などがいっぱいあって、それらを見ながら散歩するのも楽しいですが、有名な北大の寮歌のこの歌碑もそんな碑のひとつで、建っているところはまるで森の入り口のよう。木々がたくさん生えていて地面は落ち葉でいっぱいでした。この付近にはサッカー場や野球場などの学生のスポーツクラブ活動の場が集まっており、学生さんが多く見られました。
旧制一高、三高とともに日本三大寮歌の一つとして知られる北大恵迪寮の「都ぞ弥生」の歌碑です。 明治38年築の札幌農学校の寄宿舎「恵迪寮(けいてきりょう)」の寮歌として作られたことを記念し、昭和期に建立され、平成に再建されたものです。 北大構内のクラーク像付近から中央通りを真っすぐ北へ8丁ほどの北16条の原始林っぽいエリアで、荒削りの大きい白御影石に黒御影石の文字版がはめ込まれた存在感のある碑です...
少し奥まった場所に
応用科学研究棟の近くの北西の伸びる道を歩いて行ったところにあります。森の入り口といった雰囲気の場所です。都ぞ弥生とは何ぞやと思いましたが、寮の歌詞です。筆跡も作詞した作詞者のものみたいですが、あまり観光客にピンとくるものではなかったです。
まさしく此処があの2代目恵迪寮があった場所です
北8条に恵迪寮跡の記念碑を見つけ、OBとしては違和感を覚えましたが、これは初代恵迪寮跡でした。我々にとって馴染みのあるボロボロの2代目恵迪寮跡には『都ぞ弥生』の歌碑がひっそりと建っていました。まさにつわものどもが夢の後です。飲んで笑って語り合い、たまには羽目を外して青春を謳歌していた時代が蘇って来ます。因みに都ぞ弥生は明治42年度寮歌であり、あまりにも代表的な寮歌となっており我々卒業生の集まりでも...
日本三大寮歌のひとつ
恵迪寮は、明治38年南北2棟の学生寮が誕生し、明治40年に恵迪寮と名付けられてから、毎年、寮歌が作られてきました。その中で明治45年に作られた「都ぞ弥生」が有名となりました。三代目となる恵迪寮へ向かう途中の道にこの歌碑があり、寮生を見守るように佇んでいます。
「都ぞ弥生」
北大の構内には銅像や碑などがいっぱいあって、それらを見ながら散歩するのも楽しいですが、有名な北大の寮歌のこの歌碑もそんな碑のひとつで、建っているところはまるで森の入り口のよう。木々がたくさん生えていて地面は落ち葉でいっぱいでした。この付近にはサッカー場や野球場などの学生のスポーツクラブ活動の場が集まっており、学生さんが多く見られました。
日本三大寮歌
旧制一高、三高とともに日本三大寮歌の一つとして知られる北大恵迪寮の「都ぞ弥生」の歌碑です。 明治38年築の札幌農学校の寄宿舎「恵迪寮(けいてきりょう)」の寮歌として作られたことを記念し、昭和期に建立され、平成に再建されたものです。 北大構内のクラーク像付近から中央通りを真っすぐ北へ8丁ほどの北16条の原始林っぽいエリアで、荒削りの大きい白御影石に黒御影石の文字版がはめ込まれた存在感のある碑です...