日本橋の裏手に英文併記の案内板があります。かつてこの界隈に塩問屋があったことから、そう呼ばれるようになったということです。江戸時代から昭和初期までの歴史のひとつです。
中央区日本橋小舟町の南側で小舟町記念会館南西角の植込みの前に「伊勢町堀(西堀留川)跡」との説明板が立ててあり、それに塩河岸のことも記されています。 それを見ると、 江戸時代初期から昭和初期まで、日本橋本町一丁目と日本橋小舟町の境界沿いに日本橋川から北西に入り込んだ掘割があり、西に折れた入堀の河岸地は、周辺に塩問屋があったことから、「塩河岸」(明治10年、北岸は「北塩河岸」、南岸は「南塩河...
塩河岸を目指し、日本橋川から分岐した堀の跡を歩いてみました。日本橋川から分岐する場所は、日本橋小舟町の交差点近くです。小舟町記念会館前の歩道上に堀の由来の説明板が設置されています。説明文によると、当時の堀はこの場所から北上し、現在の日本橋本町2丁目7番付近で西へと屈曲して現在の日本橋室町2丁目3番まで続く、「かぎの手状の入堀」だったそうです。西へ折れた先の堀の河岸地を当時、塩河岸と呼んでいたとのこ...
昔、このあたり一帯は、日本橋川から水運により入り込む水路が入り組んでいました。今となっては道路と変わり、その面影を見ることは出来ません。掲示板を見ながら、当時に思いを馳せるのもまた良いのではないでしょうか。
日本橋本町に塩河岸の碑があったのは知りませんでしたが、2014年秋に小舟町記念会館前に説明板が移設され、また説明内容も刷新されたそうです。伊勢町堀(西堀留川)跡として、その後半に塩河岸の記載もありました。 小舟町記念会館がわからなかったら、隣のみずほ銀行小舟町支店や、道路向かいのスギ薬局を目印に。
英文併記の案内板があります
日本橋の裏手に英文併記の案内板があります。かつてこの界隈に塩問屋があったことから、そう呼ばれるようになったということです。江戸時代から昭和初期までの歴史のひとつです。
塩河岸のことなどが記された説明板があります
中央区日本橋小舟町の南側で小舟町記念会館南西角の植込みの前に「伊勢町堀(西堀留川)跡」との説明板が立ててあり、それに塩河岸のことも記されています。 それを見ると、 江戸時代初期から昭和初期まで、日本橋本町一丁目と日本橋小舟町の境界沿いに日本橋川から北西に入り込んだ掘割があり、西に折れた入堀の河岸地は、周辺に塩問屋があったことから、「塩河岸」(明治10年、北岸は「北塩河岸」、南岸は「南塩河...
昔の堀だった所を歩いてみました
塩河岸を目指し、日本橋川から分岐した堀の跡を歩いてみました。日本橋川から分岐する場所は、日本橋小舟町の交差点近くです。小舟町記念会館前の歩道上に堀の由来の説明板が設置されています。説明文によると、当時の堀はこの場所から北上し、現在の日本橋本町2丁目7番付近で西へと屈曲して現在の日本橋室町2丁目3番まで続く、「かぎの手状の入堀」だったそうです。西へ折れた先の堀の河岸地を当時、塩河岸と呼んでいたとのこ...
中央区教育委員会の街路掲示
昔、このあたり一帯は、日本橋川から水運により入り込む水路が入り組んでいました。今となっては道路と変わり、その面影を見ることは出来ません。掲示板を見ながら、当時に思いを馳せるのもまた良いのではないでしょうか。
今は小舟町記念会館前に伊勢町堀跡の説明板が
日本橋本町に塩河岸の碑があったのは知りませんでしたが、2014年秋に小舟町記念会館前に説明板が移設され、また説明内容も刷新されたそうです。伊勢町堀(西堀留川)跡として、その後半に塩河岸の記載もありました。 小舟町記念会館がわからなかったら、隣のみずほ銀行小舟町支店や、道路向かいのスギ薬局を目印に。